伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【後編】

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伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【後編】

書簡に隠された野望

【前編】では慶長遣欧使節団の経緯と政宗の意図について説明しました。

伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【前編】

【後編】では幕府転覆説の根拠と真相について見ていきましょう。

伊達政宗(Wikipediaより)

支倉常長は、スペイン国王やローマ法王に謁見した際、使者として政宗自筆の書簡を国王や法王に渡しています。

その書簡の中には、スペインとの軍事同盟や倒幕など、政宗の野望を示した証拠となるような文面はありません。

しかし、スペイン国王に常長が手渡した「申合条々」の中に、スペイン国王と敵対関係にあるイギリス人やオランダ人、およびその他のいかなる国民でも、当領国(仙台藩領)内に入ってきた者はすべて裁判にかけるというような内容の一条があります。

幕府転覆計画説によれば、これがスペイン国王に対する軍事同盟の提案だというのです。

また、前述の政宗自筆の書簡に自身の野望を伝える文面がないのは、万が一計画が失敗した時に備えたためだともいわれています。

政宗はいくつかの書簡に「詳しくは常長(あるいはソテロ)が口頭で申し上げます」という一文を加えており、政宗は大事な話は、常長やソテロから直接口頭で話すように指示したともいわれています。

ソテロの証言

その点、常長に同行し案内役兼通訳、交渉役として精力的に動き回ったフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは、政宗の野望を記した文書をいくつも残しました。

その1つである、スペインの宰相レルマ公に送った書簡(1618年2月4日付け)には「(政宗は)皇帝(将軍=家康)から迫害されようとしている30万人の信徒を家来にして、その助けによって自分が皇帝となって、長い間帝位につくことを望んでいる」という内容のことが書かれています。

さらにソテロは、常長がスペイン国王に謁見した際にその口上を通訳しましたが、その中で「主君である奥州の王(政宗)がわが身、領土を陛下(スペイン国王)に献じ、陛下の役に立つようなことがあれば喜んで尽くしたいと望んだ」とも述べています。

ローマ・クイリナーレ宮殿の王の間フレスコ画。前列左が支倉常長、前列右がソテロ(Wikipediaより)

この話が真実だとすると、政宗はスペイン国王に領土を差し出し、その配下に入りたがったことになります。

しかし常長(政宗)がそこまで考えていたとは思えず、これはソテロが勝手に通訳した可能性が高いという指摘もあります。

ソテロは、1612(慶長17)年からの禁教令によって幕府のキリスト教に対する弾圧が厳しくなる中、政宗という保護者によって布教を許されていました。

そこで、ソテロには奥州を足がかりにして、自分がフランシスコ会の日本の司教になろうという野望があったとされているのです。

従って、ソテロの書簡や発言に示された政宗の野望は、国王や法王の歓心を得るためのものであり信憑性が低いという反論もあります。

政宗の真意とその後

しかし近年、日本大学教授の大泉光一氏は自著の『支倉常長』(中公新書)の中で、イエズス会宣教師ジェロニモ・デ・アンジェリスの書簡を紹介しています。

そのうちの1つ、1620年11月30日付け書簡によると、政宗は常長が帰着したと聞くと、将軍(この時には秀忠が将軍になっていた)への恐れから領内のキリシタンを迫害することを決めました。

徳川秀忠(Wikipediaより)

将軍が政宗のエスパニア(スペイン)国王への使節派遣を知っており、政宗が天下に対して謀反を起こす気であると考えていたため、政宗はそうではないことを示そうとして迫害を始めたというのです。

結局、政宗が領内でキリスト教を保護してきたのは、倒幕のためにスペインとの軍事同盟を締結し、3万人のキリシタンの兵力化を実現するための偽装だったと考えられます。

以上が、政宗が支倉常長をスペインに派遣した理由に関する現代の説です。この説が本当かどうかは定かではありませんが、政宗の野心や当時の政治状況を考えると、非常に興味深いものがあります。

参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い!変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia

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