剣術の強さを疑う声!?新選組・近藤勇の剣豪伝説はどこまで本当なのか? (2/3ページ)
近藤が剣の道を目指したのは14歳のときです。1849年(嘉永2年)に天然理心流の剣術道場・試衛館に入門しました。
天然理心流というのは、遠江(静岡県)出身の近藤内蔵之助長裕が1795年(寛政7年)頃に創始したもので、剣術・柔術・棒術・気合術の総合武術のことです。3代目の近藤周助のとき、勇は入門を許可されます。
その後、彼はよく稽古に励み、7か月後に目録を許されました。またある日、周助の自宅に盗賊が侵入した時は、その盗賊を勇が退治しました。
周助は、そのときの彼の冷静沈着な態度と度胸の良さに感心し、養子にしました。
その後、勇は27歳の若さで指南免許を得て、周助の後を継ぎます。
元新選組隊士である阿部十郎が1899年(明治22年)に語った話によると、新選組隊士の剣術の腕前は近藤が一番強く、以下、永倉新八、沖田総司、斎藤一と続いたということです。
永倉は神道無念流の剣士で、18歳で免許皆伝になったといわれる剣士です。ご存じ、沖田総司は近藤と同じ天然理心流で「夭折の美剣士」といわれます。
沖田は胸の病で若くして世を去りましたが、有名な池田屋事件のときに血を吐きながら戦ったことで知られています。
新選組にはこの他にも戊辰戦争で戦った土方歳三もおり、いわゆる「役者」が揃っていますね。