大河『べらぼう』身請け後にいったい何が!?四代目瀬川が自害した真相と彼女の人物像に迫る【前編】 (3/4ページ)
友人・雛鶴への手紙

四代目瀬川の教養は日常のやりとりからも偲ばれました。
例えば宝暦5年(1755年)春、丁子屋にいた遊女・雛鶴(ひなづる)が身請けされた時、こんな手紙を送っています。
……きゝ(聞き)参らし候処、此里の火宅(かたく)をけふしは(今日しは)はなれられて、涼しき都へ御根引(おんねひき)の花、めつらしき御新枕、御浦山敷(おうらやましき)事はものかは、殊に殿は木そもじ様は土一陰陽を起し、陽は養にして御一生やしなふと云字の卦、万人を養育し、万人にかしづかるゝ(傅かるる)と頼母敷(たのもしき)も、めて度(めでたき)御中とちよつとうらなゐ(占い)まいらせ候 穴賢……
【意訳】お聞きしたところ、今日は吉原遊郭を離れて涼しき都へ移られるそうですね。本当に珍しく、うらやましいことと思います。あなた様の未来を陰陽で占いましたところ、陽(よう)は養(よう)に通じて一生暮らしに困らないという結果がでました。多くの子宝に恵まれ、みんなから慕われることでしょう。他人様の運勢を勝手に占うなんてはしたないことではありますが、吉事に吉兆を添えたく、不躾ながらお知らせいたしました。あなかしこ。
……とまぁそんなことを唐紙に書いて、餞別と共に雛鶴へ贈ったと言います。
果たして、この雛鶴は身請けされて幸せになったのでしょうか。
『源氏物語』に基づく松葉屋の符牒四代目瀬川は風雅にも嗜みがあり、当時の松葉屋では間夫(まぶ。間男)を「はゝきゞ(ははきぎ。帚木)」、遣手(やりて)を「かゞり火(かがりび。篝火)」と呼んでいました。
これらの符牒(隠語)はいずれも平安文学『源氏物語』から採られたものです。
帚木(ははきぎ):第2帖のタイトル。