実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【前編】 (2/3ページ)
こうして後世に「大塩平八郎の乱」として呼ばれることになった騒動は、一般に「義挙」とされてきました。
しかし最新の研究では、大塩が批判した米不足対策について、町奉行はきちんと対応していたとされています。それどころか、大塩が掲げていた蜂起の理由は虚偽だったとの説も出ているのです。
その、蜂起の理由とはなんだったのでしょうか。
東日本を中心とした天保の大飢饉が発生した際は、大坂でも餓死者が相次ぎました。それなのに大坂の富商らは米を買い占めて暴利を得、町奉行所は幕府の指示で大坂の米を江戸に送っていたと言われています。
大塩は、こうした状況について「町奉行が大坂を見捨てた」と考えて、義憤をおぼえて蜂起したのです。
町奉行の飢饉対策しかし東北大の平川新名誉教授によると、江戸に送られた米は、実は大坂のライバルにあたる兵庫の市場の米だったそうです。
町奉行は買い付けに来た江戸の商人へ協力することを禁じ、米取引の不正禁止や相場の抑制など実効性のある対策を採っていました。
平川氏は「幕府の下部機関の奉行所は、大坂の食を守りつつ、江戸の米を確保する必要があった。OBにすぎない大塩は、実態が見えていなかったのでは」と推測しています。