富本豊志太夫/午之助(寛一郎)とはいったい何者?浄瑠璃・富本節の歴史をたどる【大河ドラマべらぼう】 (3/4ページ)

Japaaan

大河ドラマ「べらぼう」に登場するのは二代目

二代目・富本豊志太夫。鳲鳩斎栄里(鳥橋斎栄里)「江戸花柳橋名取 二代目富本豊前掾」

その後、富本節は二代目・富本豊前太夫(ぶぜんだゆう。初代富本豊志太夫の実子で、名は富本午之助)の時代に全盛期を迎えました。

二代目富本豊前太夫は宝暦4年(1754年)に生まれ、明和3年(1766年)で初舞台。明和7年(1770年)に二代目富本豊志太夫を襲名します。

やがて安永6年(1777年)に二代目富本豊前太夫を襲名、文化14年(1817年)に富本豊前掾藤原敬政(ふじわらの たかまさ)を称しました。

面長だったために人々から「馬づら(馬面)豊前」と呼ばれ、人気を博したそうです。

しかし文化11年(1814年)に富本節の門人であった清元延寿太夫(きよもと えんじゅだゆう)が清元節を興すと、次第に人気が移ってしまいます。

やがて立場が完全に逆転し、富本節は衰退してしまうのでした。世の栄枯盛衰を感じずにはいられませんね。

そして文政5年(1822年)7月17日、 71歳で世を去ったそうです。

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