食糧や衣類、神頼みまで!?戦国時代の合戦中の差し入れ「陣中見舞」には何が喜ばれていたのか?
いつの時代も差し入れは嬉しいもので、皆さんも差し入れしたり/してもらったりした経験があると思います。
差し入れは気持ちなので何でも嬉しいですが、ちょうど欲しいものが来ると、喜びもひとしおでしょう。
今回は戦国時代に行われた陣中見舞、すなわち合戦中の差し入れについて紹介したいと思います。
果たしてどんなものが贈られたのでしょうか。
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陣中見舞で喜ばれたものの一つが兵器類。特に弾薬などの消耗品はいくらあっても困りません。
例えば天正18年(1590年)の小田原征伐では、薩摩の島津氏が豊臣秀吉に対して鉄砲薬百斤つまり火薬(煙硝)60キロを贈っています。
また弽(ゆがけ。弓掛、弓懸)も多く贈られました。これは手にはめる保護具で、弓の弦を引く時に指を痛めないために重宝しました。
実用品としてだけでなく、中には合戦の記念品としても贈られており、装飾を施されたものも残っています。
他にも幔幕(まんまく。陣幕)が贈られたケースもあり、これは陣地の囲いとしてはもちろん、大きな布として色々と重宝したことでしょう。
細かく裂けば包帯代わりにしたり、首級を包んだりできますね。
戦場に限らず、清潔で幅広い布は何かと重宝するものです。
先ほどの小田原征伐では、石山本願寺が秀吉に対して幔幕二張を贈っています。
食糧や衣類など、日用品も欠かせない
腹が減っては戦ができぬ……という訳で、陣中見舞には食料も喜ばれました。
先の小田原征伐に際して、尾張国の曼陀羅寺は秀吉と石田三成へ糒(ほしいい。乾飯)一折ずつ贈っています。
糒は歴史ファンならみんな大好き?保存食。炊いた米を水洗いして滑りをとり、天日に干すことで長期保存が可能です。
湯や水で戻せば粥になるし、そのままポリポリ食っても美味しいスグレモノ。お一ついかがでしょうか。
一折とは折詰弁当のイメージで、箱も装飾されました。秀吉も三成も、ポリポリと貪ったのかも知れませんね。
他には衣類もよく贈られ、暑ければ裏地がなくて涼しい帷子(かたびら)、寒くなれば中に綿を入れて暖かい袷(あわせ)がよく贈られます。
例えば小牧・長久手の合戦では京都の松尾神社などから帷子が贈られ、小田原征伐では鍋島直茂から袷十着と帯十筋が贈られました。
人事を尽くして神仏頼み?
他にも戦国時代らしい陣中見舞として、神仏の御加護を願う贈り物も喜ばれました。
例えば寺社では巻数(かんじゅ)と呼ばれる目録を贈りますが、これは「あなたの勝利を祈祷して、これだけお経を上げましたよ」という申告書類です。
また正月の護符として知られる牛玉宝印(ごおうほういん)も近江の多賀神社から贈られました。
また伊勢御師(おし。伊勢信仰の伝導者)である村山太夫が小牧・長久手の合戦に望む小早川秀包(ひでかね)に神宮大麻と打鮑を贈っています。
神宮大麻(じんぐうたいま)とはお伊勢さんの御札。昔は麻で奉製されました。
また打鮑(うちあわび)とは細く切ったアワビを打ちのばした干物。敵を打つ(撃つ)ことから、勝栗(かちぐり)や勝魚(かつを)と共に縁起物とされています。
終わりに今回は戦国時代の陣中見舞について紹介してきました。読了、誠にありがとうございます!
それにしても、苦しい時の差し入れって、本当に沁みるものですよね。
また戦国時代の面白い話を紹介したいと思うので、よろしくお願いいたします!
※参考文献:
盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』洋泉社、2016年9月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

