驚きの捜査手法!鬼平・長谷川平蔵が江戸時代屈指の高い犯罪検挙率を誇ったのは何故か?【後編】

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驚きの捜査手法!鬼平・長谷川平蔵が江戸時代屈指の高い犯罪検挙率を誇ったのは何故か?【後編】

犯罪者への温情

【前編】では、「鬼平」こと長谷川平蔵が犯罪捜査において岡っ引を上手く活用していたことについて説明しました。

驚きの捜査手法!鬼平・長谷川平蔵が江戸時代屈指の高い犯罪検挙率を誇ったのは何故か?【前編】

【後編】では、彼の独自の情報網と火事への対処について見ていきましょう。

犯罪捜査では、反社会的組織の内情に精通した者の協力が不可欠です。よって、前編で説明した岡っ引も、博徒のような反社会的組織に近い人物が採用されることが多くありました。

中には岡っ引という立場を悪用して悪事を働く者もいたため、正徳2年(1712年)以降、幕府はたびたび岡っ引の使用の禁制を出しています。

千国番所の「御用提灯と捕縄」

とはいえ、『鬼平犯科帳』では火盗改の密偵として元盗賊が活躍しています。実際の平蔵も犯罪者や前科者に対して独特の思いを抱いていたようで、そうした思いが人足寄場の設置などにつながったのでしょう。

『江戸会誌』には、平蔵が囚人には温情を持って接し、服が無いものには衣服を与えたとあります。

また誤認逮捕した場合には、勾留日数に応じて保証金を支払ったとされ、刑死者のために供養塔を建立したり、法要を営むこともあったといいます。

「本所の銕」として放蕩生活を送った平蔵は、下層階級の実情に通じて温情を与えるとともに、その扱いにも慣れていました。

そんな彼だからこそ構築できた非公認の情報網が高い検挙率につながったといえるでしょう。

変装の見破りエピソード

また『鬼平犯科帳』では、平蔵の「勘働き」によって犯人が逮捕されるシーンが多く描かれています。

実際の平蔵も鋭い観察眼によって犯罪者であることを見抜き、周囲の者を驚かせた記録が残っています。

例えば、火事場に出動した平蔵は、現場にいた美しい法衣をまとった僧侶を見つけると、部下に捕縛を命じました。取り調べたところ、それは変装していた大盗賊だったのです。

『鬼平犯科帳』でも坊主あがりの凶賊・和尚の半平が登場しますが、実際に当時の盗人の変装を見破る技術も平蔵には備わっていました。

この鋭い洞察力が、平蔵の捜査をさらに際立たせたのです。

「パトカー」のパイオニア?

また、火盗改の重要な任務が、放火犯の逮捕です。

火事が起きた際のマニュアルが『徳川禁令考』にあります。

まず届廻同心のうち1人、召捕方廻方の与力と手付同心のうち、火事番だった者と出火場近くを巡回している者が火元へ駆け付け、放火犯や火事場泥棒の逮捕にあたります。

ただし、火元や類焼者は、よほど怪しい場合以外はみだりに身柄を拘束しません。

事務方の与力同心は役所へ詰め、長官不在の役所の警戒にあたり、火事場が近ければ重要書類の持ち出しの準備を行います。そして役所詰の同心のうち手空きの2~3人は火元へ駆け付けます。

以上が火事の際の対処マニュアルですが、もし与力・同心の自宅近くで火事が発生した場合は出勤する必要はなく、勤務中であれば届出の上で帰宅が許されました。

幕府は、放火犯を逮捕した者には銀30枚の報奨金を出していたため、与力・同心は特に放火犯の召し捕りに力を入れました。

平蔵はこうしたマニュアルの内容を踏まえつつ、火災への対処法においても工夫をしています。

彼は火事場に向かう際には高提灯を掲げ、速やかに現場に駆け付けました。現在の赤色灯のようなもので、平蔵は日本におけるパトカーのパイオニアだったと言えるかも知れません。

この高提灯は平蔵がいない場合でも掲げられたため、「もう長谷川平蔵が出馬したのか」と驚いた者も多かったとか。

こうした独自の人脈や工夫が彼の犯罪捜査を支えており、庶民からも慕われることにもつながったのでしょう。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia

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