幕末に起きた「戊辰戦争」の敗戦藩はどのように復興したのか?三島億二郎に学ぶ地域再生戦略【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

1873年には會社病院を設立し、公衆衛生の土台を築きました。

さらに1878年には、士族が受け取った秩禄処分の公債を資本に、地元金融機関である第六十九国立銀行を設立。金融による地域経済の再建にも着手しました。こららは全て、ランプ会での繋がりや、話し合われたことが実際の政策として実を結んだものです。これらの学校、病院、銀行は現在も名前を変え、存続しています。

そして、どれも、中央の制度をそのまま持ち込むのではなく、「地域に合ったかたち」で再構成して実行された点が重要です。

つまり三島億二郎の戦略とは、制度や物資に頼るだけでなく、地域の人々の知恵とネットワークを活かして、自立的な再生を図るというものでした。

そこには、のちに「地方自治」「市民参加」「コミュニティ再建」として制度化される概念の萌芽があります。

1882年に官職を退いた後も、三島は地域の外に目を向け、1886年には北海道開拓を目的とした北越殖民社を設立。内地で職を失った士族たちに、新天地での生活と誇りを取り戻す場を提供しました。

三島億二郎の像(長岡市) wikipediaより

三島は1892年3月25日に没しますが、その没後も、今日に至るまで、彼が残した制度や理念は長岡の中で生き続け、地域社会の独自性を保っています。

三島億二郎の生涯のテーマは「戦後復興」と「士族授産」でした。そして、こうした三島の生き方は、「敗戦後の復興」という問いに対して、一つの明快な答えを示してくれます。

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