伝説で彩られた「元寇」「蒙古襲来」の真相に迫る!神風伝説とフビライの真の意図について解説【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

フビライ(Wikipediaより)

国書は日本に国交と服属を求め、「兵を用うるに至りては、それたれか好む所ならん」と結んでいました。つまり、フビライは武力を使うようなことはしたくないといいます。

しかし、「言うことを聞かなければ痛い目にあわせるぞ」とも読める文章です。これを読んだ幕府の執権・北条政村は激怒し、国書を朝廷に届けました。

朝廷は連日協議した結果、「返書を送らない」と決めます。その後、フビライは2度目の使者を日本へ送りますが、幕府は先の国書の内容が無礼だといって元へ返してしまいます。

「神風」の真実

すると、1274年10月、元の大軍が軍船に乗って押し寄せてきます。

これが皆さんご存じの「元寇」または「蒙古襲来」と呼ばれる出来事で、それぞれ1274年の襲来を「文永の役」、1281年7月の襲来を「弘安の役」と呼びます。

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