推古天皇は“日本で最初の女性天皇“ではない!?日本最古の歴史書から読み解く知られざる女帝の系譜【後編】
記述の違いの理由
前編では、飯豊青皇女が政治に携わった前後についての記述が、『古事記』『日本書紀』では微妙に異なっており、彼女が「日本初の女性天皇」である可能性について解説しました。
推古天皇は“日本で最初の女性天皇“ではない!?日本最古の歴史書から読み解く知られざる女帝の系譜【前編】
飯豊青皇女が政を行ったとされる「忍海角刺宮跡」角刺神社(Wikipediaより)
両者の記述が異なった原因として考えられるのは、『日本書紀』は実際にあった危機的状況をそのまま伝えることを嫌ったから、という説があります。
つまり、後世の人に「そんなに心配するほどのことではなかった」と伝えることで危機の度合いを低めようとしたというのです。
万世一系の天皇家の歴史に、王朝交替の危機があったということを記したくなかったというわけです。
一方で『古事記』はその史実を淡々と伝えていますが、さすがに飯豊青皇女が「即位した」とまでは記していません。歴代天皇の1人として記録してはいないのです。
やはり、天皇は男性天皇ではなければならない、女帝は認めない、という不文律が働いていたのかもしれません。
飯豊青皇女の真の姿は?飯豊青皇女が日本最初の女帝(女性天皇)であったという根拠は、他にもあります。
前述したように『日本書紀』は飯豊青皇女が自ら「忍海飯豊青尊」と名乗ったことを伝えていますが、その最期についても「冬十一月、飯豊青尊、崩りましぬ。葛城埴口丘陵に葬りまつる」と記しています。
この一連の記述のなかにある「尊」も「崩」も「陵」も、天皇またはそれに準ずる人に用いる字です。
宮内庁により「埴口丘陵」として飯豊青皇女の陵に治定されている北花内大塚古墳(Wikipediaより)
さらに、古代や中世の文献にも飯豊青皇女が天皇であったことを示す記述があります。
まず、平安末期に成立した史書『扶桑略記』には「飯豊天皇、廿四代女帝」とあり、ストレートに天皇であったと述べているのです。
次に、天皇家の系譜を記した室町時代の史料である『本朝皇胤紹運録』にも「飯豊天皇、忍海部女王是也」とあり、こちらもはっきりと天皇であったことを認めています。
以上から、飯豊青皇女が5世紀の後半に即位した日本最初の女帝(女性天皇)だったことは十分考えられるでしょう。
どんな人だったのかでは、飯豊天皇はどんな天皇だったのでしょうか。
江戸時代の国学者・本居宣長の『古事記伝』によれば、「飯豊」とは「梟」のことだといいます。
フクロウは現代でも「森にすむ神」として崇められているように、古代でも霊鳥と見られていたことから、飯豊天皇はシャーマンではなかったかという説があります。
実際、『古事記』には飯豊青皇女が高木角刺宮にいたと記されているのですが、高い木は神が宿る「依り代」ともいわれており、飯豊天皇は卑弥呼のような女帝だった可能性もあるのです。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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