推古天皇は“日本で最初の女性天皇“ではない!?日本最古の歴史書から読み解く知られざる女帝の系譜【後編】 (1/3ページ)
記述の違いの理由
前編では、飯豊青皇女が政治に携わった前後についての記述が、『古事記』『日本書紀』では微妙に異なっており、彼女が「日本初の女性天皇」である可能性について解説しました。
推古天皇は“日本で最初の女性天皇“ではない!?日本最古の歴史書から読み解く知られざる女帝の系譜【前編】
飯豊青皇女が政を行ったとされる「忍海角刺宮跡」角刺神社(Wikipediaより)
両者の記述が異なった原因として考えられるのは、『日本書紀』は実際にあった危機的状況をそのまま伝えることを嫌ったから、という説があります。
つまり、後世の人に「そんなに心配するほどのことではなかった」と伝えることで危機の度合いを低めようとしたというのです。
万世一系の天皇家の歴史に、王朝交替の危機があったということを記したくなかったというわけです。
一方で『古事記』はその史実を淡々と伝えていますが、さすがに飯豊青皇女が「即位した」とまでは記していません。
