武士道バイブル『葉隠』最終巻・最終話の教訓がこれだ!口述者・山本常朝は何を伝えたかったのか? (2/2ページ)

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【意訳】天下国家を治めると聞くと、とても自分には及びもつかぬ大層なことであるように感じるかも知れない。

しかし今、幕府の老中や大名家の家老・年寄らが天下や領国を統治しているが、その基本はわしがこの庵で話してきた内容を出るものではなかろう。

奇をてらわず、基本に則って政治を行えば事足りるのである。

しかしあの者たちは実に心もとない。地道に学問を修めることなく、物事の是非を吟味することも怪しいものだ。

その場限りの思いつきで保身に駆けずり回り、権力を恐れ「仰せごもっともにございます」とへつらうばかりである。

世の中要領よくやったモン勝ちだと思っているから、奢り高ぶって私利私欲に走り、政治を腐敗させてしまうのだ。

と、山本先生は仰った。

享保元年(1716年)丙申(ひのえのさるどし)9月10日

終わりに・山本常朝が『葉隠』を語った思いは

武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり(イメージ)

これが『葉隠』最後の教訓です。

天下国家を治めると聞けば、自分には及びもつかない大事業にも思えるが、その基本は人間誰でも同じこと。

しかしその基本を蔑ろにする連中が、要領よく権力に媚びへつらって政治を腐敗させている。そんな義憤が伝わってくるようです。

今さら隠居の身で何ができる訳でもないが、奉公人としてあるべき精神を受け継いで欲しい。そんな思いを抱えていたのでしょう。

享保元年(1716年)と言えば、元和偃武より早100年余。戦国乱世も遠く過ぎ去り(時々争乱はあったものの)、武士の官僚化が進み、古風ゆかしき武骨者は社会の片隅へ追いやられていました。

平和の尊さこそ忘れなかったものの、武士が武士として誇り高く生きられた時代を偲んでいたのかも知れません。

治に在って乱を忘れず、志高く生きるための指針として、山本常朝は『葉隠』を語り伝えたのでしょう。

※参考文献:

古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月

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