源義経の「鵯越の逆落とし」は実行不可能だった!?「一ノ谷の戦い」で平氏が敗れた本当の理由とは?【後編】 (2/3ページ)
険しい所ではありません。
そして、その鵯越という山道を義経のように下ったとしても一ノ谷には出ないのです。なぜなら、そこにはまた山があるからです。
つまり、現在の鵯越では『平家物語』が伝えるような義経の鵯越の逆落としはありえないのです。
鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」(Wikipediaより・一部抜粋)
そこで、義経の軍勢が実際に駆け下りたのは鵯越ではなく、現在の鴨越より西側にあたる鉄拐山(鉄拐峰ともいいます)や鉢伏山あたりではないかという説もあります。
また百歩譲って、一ノ谷の戦いで義経がとった奇襲戦法が、鵯越ではなく別の場所からの逆落としだったとしても、この合戦の源氏の勝因は別にあったという指摘もあります。
その勝因とは、後白河法皇から平氏に送られた一通の手紙です。
後白河法皇の謀略手紙は、義経の奇襲が行われる前日の二月六日、平氏の陣中に法皇の近臣が届けました。そこにはこう書かれていました。
「和平交渉を行うので、八日に院使を送る。その間、戦うことがないように。このことは源氏にも伝えている。平氏の軍勢にもその旨を伝えるように」
法皇からの院宣であり、手紙を受け取った平氏の軍勢は従わないわけにはいかなかったはずです。言われるままに武装解除しました。