幻と消えた平清盛の夢…わずか半年で消滅した「福原京」への遷都の経緯とその失敗の理由【前編】 (2/3ページ)
その一方で、清盛が恐れをなすほどの軍事力が、当時の僧兵にあったとは考えにくいとの捉え方もあります。
こうしたさまざまな学説がある中で、当時の情勢や都の実態の研究などが進み、福原京への評価も変わってきました。
「新王朝」を夢見て「清盛には新王朝にふさわしい都をつくる狙いがあった」と話すのは高橋昌明・神戸大名誉教授(日本中世史)です。
高橋名誉教授は、遷都の3年前に平安京の大極殿が焼失したものの、再建されずにいたことに注目します。
天皇即位の儀式の場である太極殿を再建しなかったのは、その時点で既に清盛が「平氏系の王朝」の都を別に造ろうと考えていたからだと推測します。
福原遷都の年に即位する安徳天皇は清盛の孫で、安徳の父・高倉上皇は義理の甥にあたります。
歴史を振り返れば、奈良時代末の平城京から長岡京・平安京への遷都も、天武系皇統が絶えた後、天智系の桓武天皇によって進められました。