もし明治時代に女子教育がなかったら、今の日本は…… 日本の女子教育の始まりと働く女性の登場

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もし明治時代に女子教育がなかったら、今の日本は…… 日本の女子教育の始まりと働く女性の登場

今の日本では、女性が学校へ通い、仕事をし、社会で活躍することは当たり前になっています。しかし、昔の日本では女性が家庭を守ることが中心とされ、学ぶ機会も働く場も限られていました。

では、日本の女性が社会で活躍し始めたのはいつからなのでしょうか? そのきっかけは明治時代にありました。

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江戸時代までの日本では、女性は「家を守るもの」と考えられ、教育を受ける機会もごく限られていました。しかし、明治維新をきっかけに「国を発展させるには、すべての国民が学び、働くことが必要だ」という考えが広まりました。そこで、政府は1872年に「学制」を公布し、すべての子どもが学校に通うことを義務化しました。

1916年 Wikipediaより

女子も初等教育を受けられるようになり、文字を読んだり書いたりすることを学びました。また、1879年には東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設立され、女性の先生を育てる教育も始まりました。

しかし、当時の女子教育は「社会で活躍するため」ではなく、「良い妻や母親になるため」のものとされていました。学校では国語や算術のほかに、裁縫や料理、礼儀作法など、家庭を支えるための授業が多く行われました。女性が社会で活躍するための教育は、まだ十分に進んでいなかったのです。

一方、明治時代には工場が増え、女性が働く機会も広がりました。特に繊維工場や製糸工場では多くの女性が働くようになり、群馬県の富岡製糸場では最新の技術を学びながら働く女性たちの姿が見られました。

しかし、労働環境は厳しく、長時間労働や低賃金の問題もありました。それでも、女性が経済活動に参加する機会が増えたことは、社会の中で女性の役割を広げる大きなきっかけとなりました。

明治時代の終わりごろになると、「女性ももっと自由に生きるべきではないか」と考える人々が出てきました。その代表的な人物が平塚らいてう(ひらつからいちょう)です。

平塚 らいてう

彼女は1911年に「青鞜(せいとう)」という女性向けの雑誌を創刊し、「女性は家庭にとどまるべきではなく、もっと社会に出るべきだ」と訴えました。当時の日本では、女性が政治や社会問題について発言することはほとんどなかったため、彼女の活動は大きな注目を集めました。

また、女性の労働環境を改善するための法律も作られ始めました。1900年には「工場法」が制定され、女性労働者の労働時間が制限されるなど、少しずつ働く環境が改善されていきました。

では、明治時代の女性の社会進出はどこまで進んだのでしょうか? 実は、この時代の変化は「第一歩」にすぎませんでした。女性は教育を受ける機会を得て、工場で働くことも増えましたが、まだ政治に参加することはできませんでしたし、結婚後も仕事を続けるのは難しい状況でした。

しかし、明治時代に始まった女子教育や女性の労働は、のちの時代の女性の権利運動につながっていきました。そして戦後、1945年には女性にも選挙権が与えられ、日本社会における女性の立場は大きく変わっていきました。

《雨過洗庭之図》楊洲周延 明治21(1888)年

このように、明治時代は女性の社会進出が始まった時代でした。もちろん、当時の女性たちはまだ多くの制約の中で生きていましたが、それでも少しずつ社会の中で自分たちの立場を築いていったのです。

もし明治時代に女子教育がなかったら、今の日本の女性の立場はどうなっていたでしょうか? 彼女たちの歩みを知ることで、私たちが当たり前だと思っている社会の在り方について、改めて考えるきっかけになるかもしれませんね。

参 考

総合女性史研究会編『時代を生きた女たち : 新・日本女性通史』(2010 朝日新聞出版) 総合女性史学会 [ほか] 編 『女性労働の日本史 : 古代から現代まで』(2019 勉誠出版)

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