日本文化の奥にひそむ問い――ドイツ哲学者達はどのようにして「日本の禅」と出会ったのか?【前編】

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日本文化の奥にひそむ問い――ドイツ哲学者達はどのようにして「日本の禅」と出会ったのか?【前編】

日本文化と聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべるでしょうか。

お茶、着物、神社仏閣、四季折々の自然の風景――目に見える美しさが、まず心に浮かぶかもしれません。

けれども、その表に現れるものの背後には、もっと深く静かな、「生きるとは何か」という問いかけが、脈々と流れています。

その精神性を象徴するものの一つが、日本の禅です。

禅は、「今、この瞬間」に心を向け、できるだけ素直に生きることを重視してきました。
たとえば、庭掃除をしたり、お湯を沸かしたり、食事を味わったり――そんな日々の営みひとつひとつを、丁寧に、心をこめて行う。

そこにこそ、人が「生きる」という意味を見いだせる、と禅は教えてくれます。慌ただしい現代社会に生きる私たちにとっても、この考え方は、立ち止まり、自分を見つめ直すための大きなヒントになるでしょう。

マルティン・ハイデガー wikipediaより

実はこの禅の精神に、ヨーロッパの偉大な思想家も深く心を動かされました。それが、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガー(1889–1976)です。

ハイデガーは、ドイツ南西部の小さな町、メスキルヒで生まれました。幼いころはカトリックの信仰のもとで育ち、青年期には神学を学びましたが、次第に宗教よりも哲学への興味を深め、大学で哲学者としての道を歩み始めます。

1927年、彼は代表作『存在と時間』を発表し、「人間とは、存在とは何か」という問題を根本から問い直す壮大な思索を展開しました。

ハイデガーは、人間が「死」を避けることのできない存在であることを直視し、そこから逆に「いまを生きる意味」を引き出そうとしました。

「限りある命だからこそ、今この瞬間を真剣に生きる」――この考え方は、日本の禅の教えと自然に重なり合います。

ハイデガーと禅。
時代も文化も異なる二つの思想が、どのように響き合っていったのか――
次回は、その交差点に立ったもう一人の重要な人物、カールフリード・グラフ・デュルクハイムについてご紹介します。

参考文献

マルティン・ハイデガー 著、 高田 珠樹(訳)『存在と時間』(2013 作品社)

デュルクハイム, カールフリート著、下程勇吉(監修))『肚―人間の重心』(2003  麗澤大学出版会)

Karlfried Graf Dürckheim Zen and Us. Arkana Publishing, 1991.

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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