【大河べらぼう】登場の可能性は?山東京伝の実弟である江戸時代の戯作者・山東京山がたどった生涯 (2/3ページ)
宮仕えを辞めたその年から文芸活動を開始、山東京伝の弟として知られるようになっていきました。
やがて文化元年(1804)ごろに佐野東洲(さの とうしゅう)の婿養子となります。
しかし結婚生活は長く続かず、文化3年(1806年)ごろに離縁しました。佐野家では文芸活動が理解されなかったのかも知れません。
のちに田村養庵(たむら ようあん)の娘と再婚。文化4年(1807年)にデビュー作『復讐妹背山物語(あだうちいもせやまものがたり)』を刊行しました。
後に京橋へ移住し、篆刻(てんこく)と執筆活動を生業とします。
地味でも地道に、生涯160もの作品を手がける
歌川国芳「かゞ見やま 草履恥の段」より。戯述は京橋菴こと山東京山。
やがて文化13年(1816年)に兄の山東京伝が亡くなると、その遺児たちを引き取って後見人となり、兄の遺業を発展させて財を築きました。
石州流の茶匠を務めるなど活躍しますが、兄の友人である曲亭馬琴(きょくてい ばきん)との関係がこじれたと言います。
天保9年(1838年)になると剃髪したものの、最晩年まで精力的な文芸活動を行いました。
生涯で160もの作品を手がけた山東京山。