室町時代、足利義満に「皇位簒奪」の野心はなかった!?では義満の本当の野心とは何だったのか? (2/4ページ)
古くから提唱されたこの説が、1990年代に刊行された複数の著書でも取り上げられ、再び注目を集めたことは記憶に新しいところです。
現在でも、俗説レベルではこの説が広く浸透していると言ってもいいでしょう。
ただ、近年相次いで刊行された義満の評伝は、彼の皇位への野望を否定しています。中世社会において、武家はもとより臣下が天皇を自称する可能性は皆無だと述べる研究者もいます。
天皇制を絶対視する当時の原則から、義満も逸脱はしていませんでした。現在は、晩年の義満が掌握した権力をどのように評価すべきか、改めて冷静に考察すべき段階だと言えるでしょう。
「日本国王」はただの肩書きこうした最新研究の重要な成果として、「日本国王」の称号の解釈が改められたことが挙げられます。
天皇を差し置いて明の皇帝に「日本国王」と認定させたことは、皇位簒奪説の有力な根拠とされました。
しかし、この称号を得たことで義満の政治的地位に影響があった事実はうかがえず、義満が自らの権威の象徴としてアピールした痕跡もありません。
明との貿易は、皇帝から国王の称号を得る朝貢貿易の形でしか成り立ちません。「日本国王」は明との貿易を通じて富の獲得を図った義満の個人的な事業による肩書にすぎず、国家を代表したものではないという認識が近年の研究では進んでいます。
ところで、日明貿易の舞台となったのが、当時は京都の外とされた北山に造営した北山第です。義満はこの地に高僧たちを招き入れ、大がかりな祈禱を行いました。