新選組最強は沖田じゃない!新選組隊士・永倉新八が最強の剣豪だったことを証明するエピソードを紹介 (3/4ページ)

Japaaan

近藤勇/Wikipediaより

元治元年(1864)に起きた池田屋事件では近藤勇や沖田総司ら共に池田屋に突入します。総司の体調不良や藤堂平助が負傷し組長格が相次いで動けない中、新八は左手薬指に負傷しつつ、防具や刀もボロボロになりながらも多くの浪士を倒していきました。

このような向う見ずで無茶苦茶に行動する我武者羅な性格により、新八は我武者羅と合わせて「がむしん」と呼ばれていました。

局長にも意見を言える胆力!

池田屋事件を機に新選組の名は京都中に知れ渡りました。また、局長である近藤はそれにあやかって段々傲慢になっていきました。

これに怒った新八は切腹覚悟で松平容保に近藤のことを訴えています。

この一件で新八は近藤との仲がさらに悪くなってしまいますが、命を顧みず上にも臆せず意見を言う新八の肝の据わりようが窺えます。

老いても強さは健在!

新八は新選組の中で戊辰戦争を生き残った数少ない隊士の1人です。晩年は映画を好み、孫と映画館に行くことが楽しみの一つでした。

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