大河『べらぼう』吉原通いの夫にうんざり!?女性狂歌師として活躍した節松嫁々の生涯をたどる (3/4ページ)
寛政10年(1799年)に夫が先立ってしまいますが、それでも狂歌への情熱は冷めることなく、後進たちの養成に尽力します。
中でも弟子の菊丸には朱楽館(あけらかん)、同じく村竹には芬陀利華庵(ふんだりげあん。踏んだり蹴ったり)の号を襲名させました。
しかし晩年は眼病を患って失明してしまい、孤月尼(こげつに)と号します。孤独な月とは、彼女の心細さを表したのでしょうか。
そして文化7年(1810年)1月9日に世を去ったのです。享年66歳。
花ならぬ ながめもよしや 吉野紙(よしのがみ)
この眼にはるの 朧夜の月
【意訳】花(鼻紙)にはならないが、吉野紙(を貼った襖や障子)はとても綺麗で眺めがいい。この盲(めし)いた眼に貼ったら、春の朧月夜が好める(楽しめる)だろうか。
これは節松嫁々が詠んだ辞世の句。目が見えていないはずですが、あるいは少しは見えている状態も盲目と言ったのかも知れません。
