大河「べらぼう」ついに喜多川歌麿(染谷将太)爆誕!史実では謎多き歌麿の名作に潜む”母への想い”を考察【後編】

「てめえだけ助かろうって腹だろ。あんたはどうしたって死なない。人の命を吸い取るそういう子だからね。鬼の子だからね」
火事で倒壊した家の下で押し潰された鬼畜の実母に、憎しみの言葉を投げかけられた唐丸(渡邉斗翔)。
【前編】では、第18回『歌麿よ、見徳は一炊夢』で、蔦屋重三郎(横浜流星)と唐丸の過去、再会を果たしながらも、唐丸の「地獄のような幼少期」が判明したことなどをご紹介しました。
大河「べらぼう」鬼畜の母、地獄の過去…唐丸、毒母親との壮絶な関係を断ちついに喜多川歌麿が誕生!【前編】そんな唐丸を救うために、いよいよ蔦重が長年の“夢”を叶えるべくして、本気で動き出します。【後編】では、視聴者が待ち侘びた「喜多川歌麿」爆誕の舞台裏や、鬼畜な母親VS愛ある養母の差、実際に歌麿が残した「母と赤ん坊」の絵ほか、考察してみたいと思います。

【前編】でご紹介したように、唐丸は実母から凄まじい虐待をされて育ちました。
言葉と体の暴力のみならず、男娼として体を売らされた少年期。その毒母親を江戸の火事のときに「このままでは殺される」と見捨てるも、罪の意識から青年になっても「自傷行為のように、相手選ばず体を売る」という自暴自棄な生活を送っていました。
「親を見殺しにした自分は生きていく価値などない。早く死んでしまいたい」と虚無の世界で漂っていた捨吉こと唐丸。けれども、絶対に、蔦重や次郎兵衛(中村蒼)兄さんと一緒に暮らした日々は忘れられなかったはず。
世話になっている北川豊章(加藤虎ノ介)の言いなりになって「絵」を描いていたのも、「いつか蔦重に、この絵の評判が耳に入るかも」という、小さな希望の灯火を胸に抱いていたのではないでしょうか。

一人も血が繋がっていないのに、実の兄弟以上のつながりを感じられた「つたや三兄弟」。NHK「べらぼう」公式サイトより
地獄の吉原も自分にとっては“夢”のようなところ以前、蔦重から“吉原遊女の借金システム”を聞いて「地獄のようだね」と感想を漏らしていた唐丸。
けれども、そんな地獄のような吉原も彼にとっては、母親と暮らす日々よりも「“夢”のようなところだった」のでした。中年親父に体を売りながら「痛えし、くせえし、散々だったけど、カネを稼げば、おっかさんの機嫌がよくてね」というセリフはどれほどの地獄の日々だったのか想像に難くありません。
蔦重は、母を見殺しにした罪の意識から自分なぞ死ねばいいと追い詰められた捨吉こと唐丸を助けようとします。「お前が悪いとは思えねえ。死んだ奴らにゃ悪いけど、お前が生きて良かったとしか思えねぇんだよ。」という言葉にどれほど救われたことでしょう。この蔦重の言葉に思わず頷いた人も多いのではないでしょうか。

客に乱暴な性行為をされ失神し半裸で倒れていた捨吉が、目を覚まし羽織った着物の背中や袖に「髑髏」や一休禅師(正月になると頭蓋骨を掲げて街中を練り歩いたとか)と思しき人物の柄が描かれていたことには、気が付かれましたでしょうか。
この柄を好んで着ているのは、母親やその愛人の浪人を“殺した罪を背負い続ける”という意味なのか。それとも、江戸時代「髑髏」の柄は「魔除け」や「死を恐れない」という意味もあったので、死んだ二人の“呪いから身を守りたかった”のか。単純に「流行っていたから」なのか、いろいろな推測ができます。

ドラマ「べらぼう」の衣装デザイン・伊藤佐智子さんは“それぞれの衣装にさまざまな思いを込めた細かい工夫”をされているとのこと。唐丸のこの「髑髏」にもメッセージがあるのでしょう。筆者としては、前述した贖罪と魔除けの両方の意味が込められているような気もします。

唐丸は「俺を助けたいみたいなこと言ってたけど、助けちゃいけねえんだよ、俺みたいなゴミは。さっさとこの世から消えちまった方がいいんだ」と捨てぜりふを吐きます。
けれども、今まで大切な人である瀬川も平賀源内も助けられなかったと悔やみ続けてきた蔦重は、「俺はお前のことを助けらんねえわ」と言いつつ、「お前が生きてえっていうならいくらでも手を貸すぞ」と手を差し伸べます。「俺の役目はお前を助ける。俺はお前を助ける」と長屋から抜け出させるのでした。
自分ができることを正直にぶつける。唐丸が姿を消してから、後悔し続け「もしまた再会することができたら」という想いを胸に秘めていた蔦重ならではの、ストレートな言葉で、ドラマのセリフではありますが、胸を打たれるものでした。「お前を当代一の絵師にする」と誓った約束を果たすときが来たのです。
〜鬼畜な実の母親vs子の想いを守る養母の差が「母の日に」〜
鬼畜な実母と慈愛の養母のストーリーが「母の日」に。photo-ac
長屋から抜け出し、「耕書堂」にやってきた唐丸。駿河屋の女将ふじ(飯島直子)は、蔦重が唐丸が身につけていた前掛けを取り出して思い出していることを知っていたので、唐丸のために「人別」(現代の戸籍)を取り寄せます。
蔦重は「唐丸を受け入れて欲しい」と駿河屋の親父さん(高橋克実)に頼むも、そんな「身元不明な人間を受け入れるわけにはいかない」と怒られて(いつものように、蔦重は蹴飛ばされて階段落ちしてましたね)いましたが、ふじが「人別」を取り出した上に「床ドン」して親父さんを諌めます。
「重三郎の大切に想っているものなら大切にしてやりたい」という想いが伝わる、実に男前ないいシーンでした。
身寄りのない子を引き受けていた駿河屋。蔦重も養子です。当然、ふじとは血のつながりも何もないわけですが、「唐丸の実の母親」と「血のつながりのないふじ」という母親の二人の差が鮮やかに描かれていました。
鬼畜な実母と、温かい目で養子を見守ってきた養母の格差のありすぎるストーリー。
「母性がテーマ」の話を実際の「母の日」に放送するという、いい意味で森下脚本の恐ろしさを感じました。

NHK大河「べらぼう」公式サイトより。養子の蔦重が「大切にしているものを大切にしてやりたい」という駿河屋のふじ。
史実では謎の多い喜多川歌麿の活躍はいかにふじが取り寄せた「人別」で「勇助」という戸籍と名前をもらった唐丸。
蔦重は雅号として「歌麿っていうのはどうだ」と提案します。SNSでは「歌麿爆誕」の文字が誕生!
歌麿と名付けた理由と蔦重の野望を聞いて、思わず「そんな馬鹿げたことを」と笑う唐丸は、子ども時代の唐丸にそっくりでした。(すっかり子ども時代の唐丸に戻ったような、笑顔・瞳の輝き・喋り方……染谷将太さんという役者さんのすごさを感じました。実際は染谷さんのほうが4歳も年上なのですが、圧倒的な“弟らしい年下感”の演技が素晴らしかったと思います。)
大首絵の美人画・春画・『絵本太閤記』などさまざまな作品を
浮世絵師の多くは、生まれ育ちが謎に包まれていることも多いのですが、喜多川歌麿もその一人。どんな土地でどんな親のもとどのように育ったのか不明です。
亡くなったのが1806年で、逆算して1753年頃の生まれではないかという推測があり、史実として伝わるものが少ないために、ドラマや映画などのフィクションの世界でいろいろと膨らませることができます。
美人画を中心に現代でも世界的に有名な数々の名作を手掛けた歌麿。同時代の作家とは異なるその特徴として、描く女郎たちに向ける眼差しが優しいことが挙げられています。
親に売られて地獄の吉原で体を売らざるおえない女郎たちに共感を覚え、愛おしさや慈しむ気持ちを持っていたのではと言われる歌麿。ひょっとして、辛い人生を送ってきたのかもしれないと想像すると、ドラマでの悲惨な少年期を過ごしてきた人物というストーリーも頷ける思いです。

史実では「大首絵」(上半身だけを描くバストアップの絵で役者絵に多くみられた)の美人画、春画、豊臣秀吉の生涯を描いた『絵本太閤記』で高い評価を受け、まさに江戸を代表する絵師となっていく喜多川歌麿。
安永4年(1775)23歳頃は、北川豊章のペンネームで安永9年頃までは、蔦重のライバル・西村屋(西村まさ彦)のもとで絵を描いていたところ、新進気鋭の蔦重と出会い意気投合したというふうに伝わっています。

ちなみに、歌麿は晩年「人を喰らう鬼女である山姥と、赤子の金太郎」の絵を数多く描いています。(そのほかにも、母親の乳房にすがりつく赤ん坊なども)ドラマの歌麿の生い立ちを思い浮かべると何か「母」に対する思いが残っていたのでしょうか。
ドラマでは、虐待する母親でも、唐丸が体を売って金を稼いだ時だけは酒を飲んで上機嫌になり胸元に抱き寄せ、「おっぱい吸うかい」と聞いていました。唐丸は「出るのは乳じゃなくて酒だろ」と返しながらも、抱きしめられてちょっと嬉しそうな表情を受かべていたのが印象的でした。

実際に喜多川歌丸が残した貴女と赤ん坊の絵では、鬼女であることを知ってか知らずか、おっぱいにすがる赤子が描かれています。そこから着想を得た、歌麿の幼少期の話だったのでしょうか。実際のところはわかりませんが「豊かな乳房にすがりつく赤ん坊」に歌麿はどのような想いを込めたのか……勝手に想像すると、切ないものを感じます。
ドラマでは、「俺は瀬川も源内先生も助けられなかったから、せめてお前を助けされてくれ。俺を助けると思って」と蔦重に頼まれ、母親の呪縛に縛られ死んだような日々から抜け出る決意をした歌麿。これから兄となった蔦重とどのような活躍をしていくのか、どのような脚本で描かれるのか楽しみですね。
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