堕落した志士に痛烈な喝!西郷隆盛が説いた、令和の日本にも通じるトップの心得が熱い!

地位や権力とは恐ろしいもので、持つと自分が偉くなったような錯覚に陥りがちです。
自分は偉いのだから、下々に対して威張り散らし、私利私欲を好き放題に貪ってよいのだ……などと勘違いをしてしまう手合が後を立ちません。
かつて明治維新に奔走した志士たちもまた、その多くが地位と権力に堕落の一途をたどりました。
日本を変えるとか護ると言っていたのは、結局は自分たちがいい思いをするためでしかなかったのでしょうか。
今回は堕落した志士たちを嘆く西郷隆盛のエピソードを紹介したいと思います。
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四 萬民の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を氣の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を營みたる姿に成り行き、天下に對し戦死者に對して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。
※『西郷南洲遺訓』より
【意訳】人々の上に立つ為政者は、よく自らを戒めなければならない。
振る舞いを慎んで品格を養い、驕り高ぶった振る舞いをせぬよう努めるのだ。
生活は質素にし、職務に励んで率先垂範を心がけなさい。
人々が「あの人は働き過ぎで気の毒だ。少しは休んでほしい」とうくらいでなければ、人々は為政者をリスペクトしない。リスペクトしない者の命令など、心から従うはずもなかろう。
……にもかかわらず、維新の功績によって地位を得た者たちと言ったらどうだ。
豪邸に住んで派手な服に身を包み、美女を抱えて蓄財に励んでいる始末。
そんな連中に人々は従わないし、みんなが力を合わせなければ、維新の目的など実現できるはずもないのだ。
かつて我々は戊辰戦争で勝利したが、その代償として、敵味方とも多くの血を流した。
彼らの死は何だったのか?ただ連中が権力を握り、贅沢三昧にふけるためでしかなかったのか?
これでは死んでいった仲間たち、ひいては天下に顔向けできない……そう言って、西郷先生は涙を流されたのであった。
終わりに
上に立つ者こそ自らを律し、人一倍汗を流すようでなくては、誰もついてきません。
「結局、自分がいい思いをしたいだけか」そう思われたらリーダーは終わりです。
かつて高潔な大義名分を掲げて戦い、多くの犠牲を払った末に勝利を収めたら、一部の者たちが私服を肥やしただけ……そんな現状に憤った者たちが一人また一人と決起したのです。
そして最後は西郷隆盛が自ら立ち上がった西南戦争をもって、士族叛乱の幕が下ろされました。
日本史の授業では「新しい時代についていけない、または旧時代の特権を失った不平士族が武力叛乱を起こした」などと教えられているようです。
しかし彼らは単なる私利私欲ではなく、維新の大義を取り戻すために立ち上がる者も多くいました。
西郷隆盛亡き後、彼らは闘争手段を武力から言論に変えていきます。それが自由民権運動であり、現代日本の民主主義につながったと言えるでしょう。
果たして令和の日本は、西郷隆盛が望んだ姿と言えるのか、考えるキッカケとなれば幸いです。
※参考文献:
西郷隆盛 遺訓(青空文庫)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan