主君の女遊びに命がけの忠告!”雷斬り”の伝説を持つ戦国武将・立花道雪の武勇伝 (2/2ページ)

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母は早くに亡くなっており、父もまた病弱でした。元服前の14歳のときには、父に志願し、老臣3人とともに2,000人の兵を率いて出陣し、初陣を飾りました。1526年(大永6年)に戸次親家が亡くなると、家督を継ぎました。

大友家の家臣として活躍

家督を継いだ後、立花道雪は、大友宗麟の父「大友義鑑(おおともよしあき)」に仕えます。

大友家には、「豊州三老(ほうしゅうさんろう)」と呼ばれる全盛期を支えた家臣のなかでも特に優秀な家臣がいるのですが、道雪はそのひとりに数えられています。

立花道雪の仰天エピソード1:雷を斬った!?

立花道雪は、若いころ「千鳥」という名前の愛刀で雷を斬ったという伝説が残っています。それは、彼が木の下で寝ていたところ、夕立が起こり雷が落ちてきました。

驚き起きた道雪は、なんと雷を斬りつけたのです。その結果、雷のせいで彼は左足が動かなくなってしまいました。しかし、その後もみこしに乗って出陣したと言われており、その豪傑ぶりがわかるエピソードとなっています。

立花道雪の仰天エピソード2:主君の女遊びに意見

彼が仕えた大友義鎮(おおともよししげ:後の大友宗麟)は、若い頃、女性関係が派手でした。立花道雪はそれを注意しようとしますが、大友義鎮は怒られることを知っておりやってきません。

そこで、道雪は自邸に京都から踊り子たちを招き、躍らせました。真面目な道雪がそのようなことをしていることを不思議に思った大友義鎮は道雪の屋敷へ向かいます。

そこで、道雪は「私は殺されても構いませんが、主君が世間から悪く言われることが無念でなりません」と述べて諫言したといわれています。そしてその後大友義鎮は襟を正したそうです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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