【万博の豆知識】なんと金閣寺まで建てちゃった!明治時代、世界を魅了した日本の万博参加の歩み

連日にぎわいを見せている、2025年の「大阪・関西万博」。実際に足を運んだという方、これから行く予定があるという方などもいるのではないでしょうか。
以前の記事で、日本が初めて出展した万博「1867年(慶応3年)の第2回パリ万博」についてご紹介しました。
【万博の豆知識】日本美術が西洋を魅了!日本の万博 初参加は江戸時代、“あの国”で開催された150年以上前この記事では、その後の日本と万博について迫ってみたいと思います。
「日本政府」として初出展!1873年・ウィーン万博第2回パリ万博は、徳川幕府・薩摩藩・鍋島藩が出展しました。そのため、出展はしたものの、「日本」という国として出展したわけではありませんでした。1873年(明治6年)のウィーン万博で、初めて「日本政府」として公式に参加。

明治時代になり、政府としても、新しい日本を全世界にアピールしなければならないという使命が強くありました。
出品数はなんと6,000点にも及びました。日本庭園や神社が屋外に建設されたほか、名古屋城の金のしゃちほこ、大名屋敷の模型といった大きな屋内展示物も人々から人気を集めました。

1904年(明治37年)、アメリカのセントルイスでセントルイス万博が開かれました。この万博にも日本は参加。ウィーン万博のように、会場に日本庭園をつくりました。池、川石灯籠、岩、松といったものが配置され、本格的な庭園は話題を集めました。

セントルイス万博の喫茶店「金閣」と日本庭園(Wikipediaより)

そして、庭園の真ん中には金閣を模した建物が設置されました。
現在でも多くの外国人観光客から人気のある金閣ですが、このときも、政府が日本を代表する建築物として模型を出展したかったという強い意志が感じられますね。
日本での万博初開催への動き日本でも、万博を開こうという動きは比較的早い段階からありました。最も早いもので1890(明治23)年という案がありましたが、時期尚早ということで決定には至りませんでした。
続いて、1940(昭和15)年の開催が目指されました。準備は進み、実際に入場券の印刷・発売まで行われましたが、日中戦争の影響によって1938年に中止が決定しました。ちなみに、このときの万博開催に向けて造られたのが、東京中央区にある勝鬨橋(かちどきばし)です。

そして、念願かなって初めての日本開催の万博となったのが、1970年の大阪万博でした。岡本太郎さんがデザインした「太陽の塔」は特に有名ですよね。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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