忠臣蔵・赤穂浪士の討ち入りは本当に「正義」なのか?主君の敵討ちに潜む ”法と忠義の矛盾”【前編】 (2/3ページ)
人気を博した忠臣蔵のストーリーですが、幕府が実際の事件のリアルな劇化を禁じたため、歌舞伎では上野介を『太平記』の悪役・高師直になぞらえるなどして、勧善懲悪を強調した物語に造り替えられています。
歴史学の受け止め方一方、歴史学では47人の浪士たちが本当に「義士」だったと言えるのかどうかについての評価は分かれており、新史料や当時の時代背景を踏まえた議論が続いています。
そもそも、内匠頭の刃傷の理由は事件の謎の一つでもあります。
『徳川実紀』では「世に伝ふる所」とし前置きをした上で、上野介が「賄賂をむさぼり其家巨万をかさねしとぞ」とあり、内匠頭が賄賂を贈らなかったため恨みを買ったとされます。
ただ、吉良家や親類関係にある上杉家の記録の分析が進んだことで、実は上野介が町人たちからの莫大な借金を抱えており家計が苦しかったことなど、それまでの印象と異なる実情も見えてきています。
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悪役として描かれる忠臣蔵の「吉良上野介」は本当に悪人だったのか? 実は珍しい「主君」の敵討ちまた、敵討ちの典型と言われる赤穂事件ですが、実際には、当時の敵討ちの概念から大きく外れた出来事でした。
江戸時代に行われた敵討ちは、基本的には親・兄弟を殺害された場合の復讐を指すものであり、主君の「敵討ち」は意外にも歴史上ほとんど例がないのです。
また、内匠頭が上野介に危害を加えた加害者なのに、その家臣が被害者である上野介を討ち取ったことは、主君への正しい忠義と言えるのか。
