忠臣蔵・大石内蔵助は”後世の評判”を気にしていた!新史料で明らかになる赤穂浪士「忠義」の真実【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

四十七士一の剣客・堀部安兵衛の「武庸之碑」(Wikipediaより)

家老として家を支えることが、内蔵助の「忠義」の形だったのでしょう。

内蔵助の心配

討ち入りに際し、内蔵助たちは「幕府の裁きに異を唱えての行動ではない。亡き主君の遺恨を晴らすために行った」とする口上書を残しています。

幕府によって家の再興の望みが断たれたため討ち入りを決意したものの、それは幕府の裁きに反発したわけではなく、幕府が推奨する忠義という道徳観に基づいての行動だと主張したのです。

やや苦し紛れの感がありますが、内蔵助がこのように主張したのには理由があります。意外にも、彼は後世の評判を気にしていた節があるのです。

大石内蔵助の銅像

実は彼は、親しい人に対して「世間が今後、色々と噂をするだろうが、これまでの経緯を知っているあなたに対応してもらいたい」と書状で伝えていました。

現代に続く赤穂浪士の「義士」としての人気ぶりは、内蔵助の思いが通じたものだったのかも知れません。

相次ぐ新史料の発見

近年、赤穂浪士関連の新史料の発見が相次いでいます。

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