暴れん坊将軍の実像と虚像。八代将軍・徳川吉宗のリアリストとしての実態に迫る! (2/4ページ)
近年、地元の和歌山県に残る一次史料を通じ、より正確な吉宗像に迫る研究が進んでいます。
数々のエピソード吉宗に関する有名なエピソードに、五代将軍・綱吉との出会いがあります。綱吉が紀州藩邸を訪れた際、藩主の四男の吉宗のみ別室に留め置かれ、老中の助言で謁見が実現したというものです。
このエピソードは、元紀州藩家臣が後年に編集した『南紀徳川史』に記されています。
しかし現在、この記述は誤りとされています。当時の家老の日記から、綱吉は兄と平等に将軍に謁見したことが分かるのです。
この誤った記述は、家を継ぐ資格のない「部屋住み」時代の吉宗の不遇を強調し、後の出世物語を強調する意図があったと考えられます。
また、和歌山城下で警察業務に従事していた牢番頭の日記にも興味深い記述がみられます。
吉宗の父の危篤の際、江戸にいた兄は和歌山に急行したのですが、現在の滋賀から和歌山までの5日かかる距離を2日で移動したというのです。
この無理な行動が健康を害したとみられ、兄は急死し、吉宗が紀州藩主に就任することになりました。
その後、7代将軍・家継が死去し、吉宗が将軍に抜擢される前にも、御三家の筆頭だった尾張藩の藩主・吉通が25歳で亡くなっています。
吉宗の出世の裏では、兄弟や政敵の死が相次いでいました。