これが日本初の著作権トラブル?福澤諭吉『西洋事情』をめぐる”偽版”騒動とその影響【前編】

「著作権」と聞くと、今では当たり前のように存在する権利ですが、日本では明治時代に入ってからようやく制度が整いはじめました。
そのきっかけとなったともいえる出来事が、福澤諭吉と黒田麹廬をめぐる「偽版」騒動です。

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天は人の上に人を造らず…だけじゃない、福沢諭吉「学問のすすめ」のメッセージとは? お酒好きの福沢諭吉、なんと少年時代から飲酒していた!お酒と縁深い諭吉の人生をたどる福澤諭吉といえば、幕末から明治にかけて日本の近代化を進めた知識人ですが、1866(慶応2)年、福澤は『西洋事情』という書物を刊行しました。この本は、欧米諸国の政治・経済・教育・医療など、さまざまな制度や文化を日本に紹介する画期的なもので、多くの読者に衝撃と学びを与えました。
ところが、その『西洋事情』に、無断で編集・出版された「偽版」が出回るようになります。その版元となったのが、黒田麹廬(くろだ きくろ)という人物でした。
黒田麹廬(1827–1892)は、滋賀県出身の洋学者で、日本で初めて『ロビンソン・クルーソー』を日本語に翻訳したことで知られています。オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語に通じ、また天文学や宗教哲学にも精通する博識な人物でした。
福澤と同じく、西洋の知識を日本に広めようと尽力していた人物です。知を広めることに情熱を持つ黒田にとって、良書をより多くの人に届けることは、自然な使命感であったのかもしれません。
そんな黒田が関わったのが、『西洋事情』の“翻案出版”です。京都の書肆・林芳兵衛が『西洋事情』の入手困難に目をつけ、黒田に改訂版の出版を依頼しました。こうして生まれたのが『増補和解 西洋事情』という書籍です。
この本は、福澤の原著をベースにしながらも、難解な語句にルビを振り、注釈を加え、独自の判断で、付録(鉄道や蒸気船、博覧会などの解説)をつけるなど、読者の理解を助ける工夫が数多く施されていました。
黒田にとっては、それが“偽版”という認識ではなく、「良書をより多くの人に届ける」という信念に基づいた行動だったと考えられます。
次回の【後編】に続きます
参考文献
福澤 諭吉 (著), マリオン・ソシエ (編)『西洋事情』(2009慶應義塾大学出版会) 堀井 健司「幕末維新期における版権についての一考察」『出版研究』40巻(2010 日本出版学会)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan