死地へ向かう男の覚悟!命令と友情の狭間に立たされた戦国武将・相良義陽の苦渋の決断 (3/4ページ)
大友宗麟/Wikipediaより
勝てないと感じた義陽は天正9年(1581)に島津家に自身の息子を人質に差し出し降伏、島津義久に従属しました。
命令か友情か、義陽決断の時!
降伏した義陽に義久は勢力拡大のため、義陽と同じ肥後国の戦国大名である阿蘇家の守る御船城を攻めることを命じます。しかし、御船城には義陽と親しい付き合いのあった阿蘇家の家臣、甲斐宗運(かい-そううん)がいました。
甲斐宗運/Wikipediaより
2人は相互不可侵の誓詞を交わした仲だったので、義陽は息子のために島津家に従うか宗運との誓詞を守るか苦渋の選択を迫られることになりました。
苦しみ悩んだ挙句、義陽は宗運と戦うことを決めます。