「べらぼう」に登場!蔦重の妻・てい(橋本愛)とは何者なのか?史実を紐解き、その生涯に迫る

Japaaan

「べらぼう」に登場!蔦重の妻・てい(橋本愛)とは何者なのか?史実を紐解き、その生涯に迫る

(24)げにつれなきは日本橋
初回放送日:2025年6月22日

日本橋の店を狙う蔦重(横浜流星)だが、てい(橋本愛)から店舗売却を拒まれる。一方、誰袖(福原遥)は抜荷の証を得るため、東作(木村了)と廣年(ひょうろく)を繋ぐ。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

いよいよ登場した蔦重(未来)の妻・てい(橋本愛)。果たしてどんな女性だったのか、その人物像に迫ってみましょう。

大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

【べらぼう】てい(橋本愛)の丸屋とは?ほか…史実を元に時代背景や劇中作品など6月15日放送回を解説

ていは本屋の娘だった?

◆てい/橋本 愛
のちの蔦重の妻

とある市中の本屋の娘。謹厳実直で控えめな女性だが、それが故に損ばかりをしてきた過去をもつ。ある種世慣れた女郎たちが集まる吉原で育った蔦重(横浜流星)にとっては非常に慣れないタイプの女性であり、ていにとっても蔦重はその出自も含めて受け入れがたい存在であった。しかし「本を愛する」という一点については共通しており、それが二人の絆となり、いつしかかけがえのない存在となっていく。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

この「とある市中の本屋」が、劇中において丸屋と明かされました。蔦重たちはここを買おうと狙っているのですが、よりによって宿敵・鶴屋喜右衛門(風間俊介)の店と真向かいとのこと。もし買えたとしても、なかなかやりにくそうですね。

そんな丸屋の主人・丸屋小兵衛(まるや こへゑ)は後に蔦重へ地本問屋の株を売り渡すことになります。

ていはこの丸屋の娘という設定だそうですが、蔦重の妻が丸屋小兵衛を含む本屋の娘であったことを裏づける史料はないようです。

北尾重政『絵本吾妻抉』より、恵比寿様を拝礼する蔦重と、その妻子?

そもそも蔦重に妻子がいたという確証もなく、例えば北尾重政『絵本吾妻抉(あづまからげ)』には恵比寿講で蔦重の傍らにそれらしい女性と子供が描かれていますが、彼らがどのような関係であるかは分かっていません。

ただ蔦重の菩提寺である正法寺(しょうほうじ。東京都台東区)の過去帳には、錬心妙貞日義信女(れんしんみょうていにちぎしんにょ)という女性の戒名が記録されており、彼女が蔦重の妻に当たると考えられています。

「てい」という役名は、この戒名から貞の字を採ったのでしょう。戒名は俗名(生前の名前)から文字を採ることが多いため、実際に貞(てい、さだ)という名前だったかも知れませんね。

過去帳によると、彼女は文政8年(1825年)10月11日に亡くなったそうです。

夫の蔦重が寛政9年(1797年)5月6日に亡くなっているため、少なくとも大河ドラマの最終回までは生きているでしょう。

とけてからまる 夜半のむつごと……彼女との関係は?

長命館主人『艶本枕言葉』より、蔦重と妻の痴話喧嘩?

また蔦重の妻とは断定できませんが、長命館主人『艶本枕言葉(えんぼんまくらことば)』には、蔦重と女性のこんなやりとりがあります。

女性「人のいふ事もききもしねへで、そんならどうとも好きにしたがいひ」

【意訳】人の言うことなんかちっとも聞きやしないんだから。それならどうにでも、勝手にすればいいでしょ!

蔦重「モウあやまりあやまり。よくふくれるやつの。こふいふ所をうた丸にかかせてへ」

【意訳】もう、ごめんごめん。よく怒るヤツだな。お前のそういう表情や仕草を喜多川歌麿に描かせたいもんだ。

女性?「これさこれさ、じやうだんじやァねへ。月成さんのとこからなんといって来た。そしてねぼけさんハいつこよふといはしった」

【意訳】まったくいつもこの調子さ。冗談じゃないよ。で、月成さん(朋誠堂喜三二)さんは何て返事してきた?そして寝惚さん(寝惚先生。四方赤良)は、いつ来るって言った?)

枕元の手紙には「から丸様 赤良(蔦唐丸=蔦重へ、赤良より)」と書いてあり、彼女はこれを見てふくれたようです。自分よりも友達づきあいで遊びに行ってしまう夫に腹を立てたのでしょうか。

ちなみに二人の傍らには、こんな狂歌が添えられていました。

しめて寝る 二人が中の 二重帯(ふたえおび) とけてからまる 夜半(よわ)のむつごと

【歌意】二人とも、二重に帯を締めて寝たはずなのに、いつの間にかほどけて絡み合っている。夜半の睦言(むつごと)も聞こえてくる。

……まるで作者の長命館主人が、二人の様子をのぞき見ていたんじゃないかと思ってしまうほどリアルな描写ですね。

それにしても、妻?の怒った顔さえ「歌麿に描かせたい(そうすれば、きっと売れるだろう)」という蔦重の商魂には恐れ入ります。

ていの実家?丸屋小兵衛について

イメージ

ちなみに劇中でていの実家?として描かれている丸屋の主人・丸屋小兵衛についても少しふれておきましょう。

丸屋小兵衛は生没年不詳。苗字は山本、人呼んで丸小(まるこ)または豊仙堂(ほうせんどう。豊僊堂)などと呼ばれていました。

寛延期(1748~1751年)から大伝馬町(おおてんまちょう)で営業し、のち通油町(とおりあぶらちょう)へ移転します。

浄瑠璃本や紅摺絵、錦絵を出版し、鳥居清信(とりい きよのぶ)・鳥居清倍(きよます)・鳥居清満(きよみつ)・鳥居清広(きよひろ)・山本藤信(ふじのぶ)・一筆斎文調(いっぴつさい ぶんちょう)・勝川春章(前野朋哉)・北尾重政(橋本淳)などの作品を世に出しました。

やがて地本問屋の株を蔦重に売却、晴れて蔦重は天明3年(1783年)9月に通油町へ出店を実現したのです。

ちなみに同じ屋号を掲げる丸屋九左衛門(きゅうざゑもん/くざゑもん)とも関係があるとされ、こちらは安永(1772~1781年)ごろに廃業してしまいました。

劇中で言及された「蔦重の往来物にとどめを刺された」「一人娘の元婿が、扇屋の花扇(はなおうぎ)に入れ込んで財産を使い果たしてしまった」などと言った設定は、この辺りの要素を混ぜ込んだのかも知れませんね。

てい(蔦屋重三郎の妻)・基本データ

店を切り盛りしていた?てい(イメージ)

本名:不詳(山本てい?丸屋てい?貞子など?) 生没:生年不詳~文政8年(1825年)10月11日没 職業:不詳(地本問屋・丸屋の娘は劇中の設定) 伴侶:蔦屋重三郎 子女:不詳(『絵本吾妻抉』では、子供と一緒に描かれているが血縁は不明) 戒名:錬心妙貞日義信女 墓所:正法寺 終わりに

今回は蔦屋重三郎の妻となる、ていについて紹介してきました。

何かと謎が多い女性ですが、それだけ大河ドラマの創作が問われるキャラクターと言えるでしょう。

果たしてあの眼鏡はずっとかけ続けるのか、それとも伊達眼鏡で「外せば美女」パターンを踏襲するのか……本作の瀬川(+誰袖?)ロスを建て直すキーパーソンとして、彼女の活躍に期待がかかっています。

※参考文献:

安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』PHP研究所、2024年7月 伊藤賀一『面白すぎて誰かに話したくなる 蔦屋重三郎』リベラル社、2024年10月 太田記念美術館学芸部 編『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』浮世絵太田記念美術館、1985年2月 吉田漱『浮世絵の基礎知識』雄山閣、1987年7月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「「べらぼう」に登場!蔦重の妻・てい(橋本愛)とは何者なのか?史実を紐解き、その生涯に迫る」のページです。デイリーニュースオンラインは、長命館主人艶本枕言葉絵本吾妻抉丸屋小兵衛丸屋九左衛門カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る