悪名高い”開拓使官有物払い下げ事件”の真相!実業家・五代友厚は新聞の誤報に翻弄されていた【前編】

五代友厚の汚名
大阪経済の礎を築いた明治時代の実業家・五代友厚には開拓使官有物払い下げ事件で、国有資産の払い下げを不当に安く受けようとした「政商」との悪評があります。
しかし、五代を批判した当時の新聞記事などの検証が進み、現在では、今まで考えられてきたのと実態が大きく異なることが分かってきました。今回はその内容について見ていきましょう。

NHK連続テレビ小説『あさが来た』でディーン・フジオカが演じて以降、一般の知名度や人気が上昇した五大友厚ですが、彼には、鉱山や工場などの国有資産の払い下げを不当に安く受けようとした政商であるという汚名がつきまとっています。
彼の悪評のきっかけになったのが、先述した明治14年(1881年)の「開拓使官有物払い下げ事件」です。
これは、当時開拓長官だった黒田清隆が巨額の費用を投じて北海道で進めてきた官営事業に関し、同じ薩摩藩(鹿児島県)出身の五代に便宜を図ろうとしたとされる事件です。
薩摩出身者同士の癒着と批判されることになったこの事件は、高校の歴史教科書でも取り上げられてきました。
しかし近年はこの事件を巡り、史料の再検証などを通して実態の見直しが進められてきました。それに伴い、癒着の象徴とされた五代の評価も変わってきています。
開拓使官有物払い下げ事件とは
五代が批判されることになった発端は、同年の東京横浜毎日新聞の記事です。
それによると、五代が設立した商社・関西貿易社が、開拓使と「約定」して北海道の物産を一手に引き受けることになり、同社の手を経なければ物産が北海道外に出てゆかないような仕組みにしようとしているとのことでした。
こうした構造を踏まえ、新聞は「北海道商業の利益は全国共にするべきだ」などと主張したのです。
しかし、今ではこの記事は明らかな誤報であることが分かっています。
実際には、黒田が払い下げを申し出たものの、採算が合わないため五代が申し出を断っていました。
また、払い下げ先とされたのは黒田の部下の開拓使官吏が関わる会社だったのです。
さらに、五代が関西貿易社を設立したのは、背景に参議の大隈重信が掲げた国の輸出強化策があり、黒田から不当な払い下げを受けることが目的ではなかったともみられています。
政商といえば、私利私欲に走って政府と癒着し金儲けのことばかり考えている……というイメージです。
しかし当時の政商は必ずしもそういう性格だったわけではなく、西洋の脅威と対峙するために国家の行く末を真剣に考えていた者も多くいました。五代もその一人だったのです。
そして政変へ今では誤報と分かっているとはいえ、当時は、現代のようなファクトチェックの仕組みなどありません。この、薩摩出身者同士の癒着とみられた事件は、薩長藩閥政府への批判を招きます。
そして国会開設や憲法制定を要求する自由民権運動が活発化するきっかけにもなりました。
その一方で、佐賀藩出身の大隈が政府の打倒を図るべく新聞社に情報をリークした……との陰謀論も流されます。
これを受けて、政府は大隈に参議辞任を求めるとともに払い下げの中止を決定。さらに明治2年(1890年)の国会開設を約束する勅諭を発し、事態の収拾を図りました。

こうした一連の経過は、ご存じの通り明治14年の政変と呼ばれています。
開拓使官有物払い下げ事件は単なるスキャンダルにとどまらず、明治時代の政治史に大きな影響を与えました。五代はまさに政変に翻弄されたと言えるでしょう。
【後編】では、五代が記した知られざる「弁明書」の存在や、五代友厚とは一体どんな人物だったのかについてさらに掘り下げます。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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