戦国時代、バテレン追放令の波に翻弄された「天正遣欧少年使節」4人の少年たちのその後の運命 (3/5ページ)
それは理想郷と言われていたヨーロッパでキリスト教徒が奴隷を従えている場面を見てしまったことが発端かと思われます。
帰国後ミゲルは心が晴れないまま3人と勉学を続けますが、日に日に熱意を失っていき、次第にキリスト教と距離を置くようになります。
そして慶長6年(1601)にイエズス会を脱会。その後は従兄弟の大村喜前に「千々石清左衛門」の名で仕えます。しかし、キリスト教を棄てても元遣欧少年使節だったためか喜前と仲たがいとなりました。
また、同じく従兄弟でキリシタン大名だった有馬晴信の遺臣から裏切り者として命を狙われたことで、ミゲルは伊木力の地でひっそりと暮らしました。
有馬晴信/Wikipediaより
司祭となるも志半ばで終わりを迎えた伊東マンショ
天正遣欧少年使節でミゲルと同じ正使だった伊東マンショは、ミゲルが脱会後も原マルティノと中浦ジュリアンと共に神学を勉強し続けます。そして慶長13年(1608)には、晴れて司祭の身となりました。