【べらぼう】の誰袖(福原遥)も経験する遊女の”身請け”に待ち受けていた過酷な試練とは? (2/3ページ)
ちなみに「べらぼう」に登場していた瀬川は、鳥山検校に1400両で身請けされ、誰袖は、田沼沖次の家臣で勘定組頭の旗本の土山宗次郎に、史実、1200両で身請けされています。
江戸時代に人気を博した2代目高尾太夫を身請けした仙台藩主・伊達綱宗は、彼女の体重(衣装・装飾品も含む)と同じ重さの金を支払ったと伝わっています。現代の金額にしたら、数千万円〜億単位にも相当するでしょう。
しかし「勝ち組」といっても、彼女たちを待ち受ける未来はただキラキラと輝いていたわけではありません。そこにはさらなる「試練」が待ち構えていました。
元遊女は基本的には「妾」枠遊女を身請けすることができたのは、大名や豪商などの大金持ちの男性でした。彼らはその遊女を、自身の「妾=愛人」とすることがほとんどでした。
武家や豪商などは、そもそも結婚相手も家同士が決めることがほとんどだったため、遊女を身請けしたときには正妻が既に別にいて…ということが多かったのも頷けます。
ただし、実際に彼女たちが幸せだったのか、あまり幸せでなかったのかは、人それぞれだったでしょう。
地方の商人などには元遊女はむしろ歓迎され、正妻の座に収まる事もあったといいます。理由は、遊女の中には読み書き・そろばんのできる女性が多かったため、商家の事務方の仕事を任せることができるからでした。