【絶世の美女】として人気だった芸妓・八千代の短く哀切な生涯〜多くの著名人が虜に (2/3ページ)
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八千代はその美貌もさることながら、人柄の良さにおいても秀でたものを持ち合わせており、多くの著名人が八千代の素晴らしさに惚れ込んでいました。
画家・岡本太郎の父で漫画家の岡本一平も八千代を高く評価した一人で、こんな言葉を残しています「二重にくびれた二重瞼は微紅を帯び、あたかも春花の柔らかく、また温かく、睫毛に添うて香りかかり、乱れかかり・・・描くあたわず。・・」
松下電気の創業者・松下幸之助は、会社を創業する前の職場で富田屋の停電の修理を依頼された際に八千代に「お気の毒」と声をかけられ、茶菓子と祝儀袋を差し出されたとき、顔を真っ赤にしてお礼の言葉も言えなかった…というエピソードを語っています。
八千代、29歳での結婚
そんな八千代が結婚した相手は、日本画家・菅 楯彦(すが たてひこ)。菅が富田屋の芸妓に絵を教えることになり、それがきっかけで出逢い、結婚に至ります。その時、八千代は29才。結婚を機に芸妓を辞め、八千代は本名の美紀子に戻ります。
