江戸時代の藩札=地方通貨の先駆け?信用と破綻のはざまで揺れた危険な通貨制度を解説

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江戸時代の藩札=地方通貨の先駆け?信用と破綻のはざまで揺れた危険な通貨制度を解説

「藩札(はんさつ)」の目的は財政再建

江戸時代の日本には完全に統一された貨幣制度が存在しておらず、地域ごとの経済が独自の形で発展していました。

その中で、藩札は地域通貨として藩の経済を支える一方、信用の脆さも露呈しました。

明治の金融改革で日本銀行の設立や金本位制の確立に至った流れは、こうした藩札の課題を克服する一歩でもあったと言えます。そんな藩札の歴史と意義について解説しましょう。

江戸時代には全国に流通する統一された紙幣はなく、ただし商人が発行した紙幣の一種である羽書と呼ばれるものがありました。

これは商人が、金貨や銀貨などの高額な貨幣のお釣りのかわりに渡していた証書で、銀貨との交換を保証するものでした。

いわば商売のために私的につくられた「私札」で、似たようなものは発行主体により「公家札」「寺社札」などと呼ばれました。

このうち、大名がその領地(藩)内で流通させたのが藩札です。これが初めて発行されたのは17世紀の半ば頃でした。

藩札(Wikipediaより)

藩札発行のおもな目的は、藩内の貸幣不足の解消と、窮乏する藩財政の立て直しにありました。

藩外では使えなかった

藩札が発行されると、藩内では正貨である金貨・銀貨・銭貨の使用が制限されることもありました

そのため、領民は正貨と引きかえに藩札を受け取り、その結果、正貨が藩に集中することになったのです。

藩は、正貨を参勤交代や江戸藩邸での生活の費用、藩外の対外的な支払いにあてました。

小判と古銭

しかし藩札は、領内では貨幣のかわりに使用可能ですが、藩外では使えません。事情があって藩外に正貨を持ち出さなければならないときは、手数料を払って正貨に交換してもらう必要がありました。

現代の目線で見れば非常に使い勝手が悪そうですね。

しかし上手に運用すれば、引き替え用に藩が備蓄している正貨以上の通貨が藩内で流通することになって経済活動が活発化することもありました。

また、専売品の奨励によって藩の産業が活発化したりする効果もあり、積極的に評価できる側面もあったのです。

藩札の価値を支えた「信用」

そんなこともあり、藩では専売品の生産を奨励するために積極的に藩札を発行します。

専売品はおもにその地域における特産物で、藩が一括して藩札で買い上げ、大坂の蔵屋敷などで販売し、その売り上げを正貨で備蓄するのです。

江戸時代の特産品のひとつ・高松藩の和三盆

このような場合の藩札は、地場産業を振興させ地域を活性化させるために、諸藩(諸大名)が発行した地域通貨であると理解することができます。

藩札の発行には、いざというときには正貨と交換してもらえるという安心感と信用が不可欠なのですが、実際には、多くの藩は備蓄されている正貨の3倍くらいの藩札を発行していました。

そのため、藩札の運用が行き詰まってその価値が下落すると、領民が正貨との交換のために殺到する騒ぎが起きたり、一揆や打ちこわしが発生したりしました。

藩札には、札元となった藩内の有力商人の名前が記されていたので、領民は「あの人が保証するというなら」と信用してしまいます。藩の流通強制力は有力商人の信用によって補われていたのです

かつては、藩札を発行しすぎて価値が暴落し、藩札を押しつけられた庶民は被害者であったと理解されることが多かったようです。

実際、大名が改易されて御取り潰しにでもなれば、藩札は一瞬にして紙くずになってしまいます。

改易された大名は、江戸時代初期に集中しているとはいえ200家以上あり、廃藩置県で藩が消滅するまでに244藩で発行されたことがありました。藩札のシステムは、常に破綻の危険性と背中合わせだったのです。

明治政府が全国統一の貨幣制度や日本銀行を設立し、近代的な金融システムを構築したのは、こうしたリスクを避けるためでもありました。

参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC,Wikipedia

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