江戸時代の寺社は賭博天国。アウトローから博徒へ、江戸の闇社会の実態とは?【前編】 (3/3ページ)
彼らは泥にまみれた重労働を嫌がり、賭博に興じる博徒と化していったのです。
また、正式な手続きをせずに村を離れる「不斗出者」も増え、犯罪の数も増加しました。
文化・文政期(1804~1830)の江戸は庶民文化が隆盛して経済活動も盛んだったので、江戸の町に流れ込んだ者も多かったのです。
周辺農村とは賑わいが段違いなので、「都会」たる江戸を志向するのは自然な流れだったと言えるでしょう。このような「地方」「都会」の構図は、今も昔も同じでした。
一方で、農村の有力者でありながら博徒の親玉になる者もいました。彼らは地元を拠点にして徒党を組み、武器や人材を揃えました。そして、縄張りを接する近隣の博徒集団と、しばしば小競り合いを起こしたのです。
次回の【後編】では、博打が農村社会に根付いた意外な理由と、さらに輪をかけて博徒集団が勢いを増していった経緯を見ていきましょう。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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