江戸時代の寺社は賭博天国。アウトローから博徒へ、江戸の闇社会の実態とは?【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

数々の記録と迫真のフィクション

享保年間(1716~1736)に出された禁止令には、博徒の暮らしぶりが次のように記されています。

「賭博を生業とする者は立派な邸に住み、派手な服を着て、観劇に出かけては酒宴に興じていた。若者は彼らに憧れを抱き、取り締まる役人たちは賄賂を受け取って見ぬふりをした」

また蘭学者・杉田玄白の著書『後見草』によると、盛り場である千住や浅草では、賭け事に没頭する人の群れが夜間でも1里(約4キロメートル)近く続いていたとのことです。

杉田玄白(Wikipediaより)

その後、寛政の改革(1787~1793年)で規制が強化されたものの、賭博を完全に排除することはできませんでした。賭博は、江戸の文化としてすっかり浸透してしまっていたのです。

池波正太郎の『仕掛人・藤枝梅安』にも、大名屋敷の中間部屋にさまざまな人たちが出入りして、博打に興じるシーンがあります。

家臣たちもそれを見て見ぬふりをして、当たり前のこととして受け止められていたとして描写されていますが、あれは迫真の描写と言えるでしょう。

都市への人の流入と犯罪増加

江戸時代後期になると、博打は地方の農村にも浸透していきました。

当時の農業は生産技術が劣っていたので、飢饉が起きると年貢の徴収に疲弊してドロップアウトする農民も少なくありませんでした。

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