江戸時代に出現した非公認の遊女街「こんにゃく島」の正体と歴史をたどる【べらぼう外伝】 (2/3ページ)

Japaaan

最初は茶屋や見世物小屋が建ち並ぶようになり、安永2年(1773年)ごろから岡場所が開かれたようです。

海上交通の要衝であったことから人が行き交い、こんにゃく島は大繁盛。昼間は歩くのもやっとというくらいの人出で賑わったと言います。

しかしブームは長く続かず、寛政3年(1791年)ごろから次第に寂れ始めました。次第に客足は遠のき、寛政7年(1795年)には岡場所が廃止されたそうです。

こんにゃく島が寂れた原因として、松平定信が主導した寛政の改革(倹約令、風紀取締など)が考えられます。改革は天明7年(1787年)~寛政5年(1793年)にかけて行われたため、その痛手から立ち直れずに廃れてしまったのでしょうか。

また当初から「岡場所を黙認するのは、地盤が固まるまで」という制約があり、もう地盤が十分に固まった≒岡場所は用済みと当局が判断したのかも知れません。

かくして岡場所「こんにゃく島」は20余年の歴史に幕を下ろしたのでした。

岡場所「こんにゃく島」の遊女たち

『寸南破良意』より、店先で居眠りする遊女。

こんにゃく島は深川の花街と近かったことから、システムや遊女の髪型・衣裳などがよく似ていたそうです。

他の岡場所より開業が遅かったことから、深川以外にも芝神明町あたりからも遊女が流れ込みました。

こんにゃく島の遊女は深川と同じく、通いの「呼出(よびだし。客が呼び出す)」と、妓楼で接客する「伏せ玉(ふせだま)」がいたと言います。

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