徳川家康「未亡人フェチ説」の真相。家康を虜にした“波瀾の側室”たちの共通点 (2/3ページ)
徳川家康(wikipediaより)
そして、家康が最初に側室にしたのは、この築山殿の侍女でした。なので、それなりにゴタゴタしたのではないかなと想像できますね。
名前を小督局(こごうのつぼね)といい、出戻りで築山殿に仕えていた27歳のころ家康の側室になっています。
この側室はかなり奔放だったみたいで、家康も彼女には苦労させられたそうです。そのため、小督局以降の側室は大人しい女性に惹かれるようになったとも。
後家ばかりの家康の側室家康が最も寵愛した西郷局(さいごうのつぼね)は、3男・秀忠、4男・忠吉の生母です。彼女が家康の側室になったのは17歳のころでしたが、このときすでに未亡人。
西郷局肖像(wikipediaより)
5男・信吉の生母である下山殿は、武田の姫の身代わりとして家康に差し出された気の毒な女性です。夫と離縁させられて家康の側室になった下山殿は、かなり美しかったといわれています。
6男・忠輝と7男・松千代の生母は、茶阿局(ちゃあのつぼね)です。