「暴力で解決は割に合わない!」江戸時代の百姓一揆で武器が使われなかった合理的すぎる理由 (2/5ページ)
しかしそれは武器として使用されたわけではなく、合図をするための鳴り物として用いられました。
つまり、百姓は武器となり得る物を所有していながら、意図的に用いなかったのです。
つまり彼らは、領主権力に武力で対抗する気はなかったことになります。一方で幕府や藩も一揆をいきなり武力で弾圧することはなく、まずは役人が訴状を受け取って、説論して解散させるケースが多かったようです。
仁政イデオロギーなぜ百姓は暴力を用いなかったのでしょうか。このことを日本近世史の研究者は「仁政イデオロギー」という用語で説明してきました。
仁政イデオロギーとは、領主には百姓の生業維持(「百姓成立」といいます)を保障する責務があり、そうした「仁政」(情け深い政治)を施す領主に対して、百姓は年貢をきちんと納めるべきであるという認識を指します。
この認識を領主権力と百姓とが共有しており、江戸時代の政治文化の根幹をなしていたとされるのです。
ひと昔前のイデオロギー概念に照らし合わせたイメージなら、それは仁君であることを名目に幕藩領主の支配を正当化(正統化)するイデオロギーだったと言えるかも知れません。
しかし反面では、百姓側がそれを逆手にとって、領主側に仁政を訴え出る正当性にもなりました。
自らの生活が成り立たないほど年貢が過重であった場合、百姓は訴願を行い、領主に訴え出て、年貢の軽減や米などのお救いを要求したのです。
このことをふまえると、一揆であえて武器が使われなかった意味も理解できます。
一揆の際、百姓は農作業で着る蓑笠をまとい、鍬・鋤などの農具を持っていました。あくまでも武器は携えていなかったのです。