「暴力で解決は割に合わない!」江戸時代の百姓一揆で武器が使われなかった合理的すぎる理由 (3/5ページ)

Japaaan

「百姓」の象徴となった蓑と笠

その理由は、それらが百姓身分を象徴するアイテムだったからです。刀や鉄砲で武装しないことが、自らが「武士身分ではなく百姓である」というアピールになり、領主に仁政を求める正当性を示す手段になったのでしょう。

暴力をふるわないことこそが、領主からの「お救い」を引き出すためには逆に必要でした。

一方の領主側にとっても、百姓一揆を即座に暴力的に鎮圧することは、仁君としてふさわしい行動ではありません。

「武器を使わない」「農民らしい出で立ちを心がける」という百姓一揆の作法は、身分制を基盤とする近世の支配関係と、それを支える仁政イデオロギーに基づいて形成されていたのです。

殺し合いに懲りて…

こうした一揆の作法は、最初からそういう形式だったわけではありません。江戸時代の支配体制がまだ十分に整っていなかった時期の一揆は、こうした形式とは大きくかけ離れていました。

例えば江戸時代の初期に起きた1637年の島原天草一揆では、武士も百姓も苛烈な暴力をふるいあっています。

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総大将は16歳の少年キリシタン。
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