大河『豊臣兄弟!』に登場か?豊臣家の影に生きた武将・河尻秀長の静かなる最期 【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

苗木城の奪還――旧領主の逆襲

秀長の死後、苗木城を守っていたのは家臣の関治兵衛でした。そこへ攻め寄せてきたのが、かつての苗木城主・遠山友政です。

遠山家は、秀長が苗木に入ったことで領地を追われていました。家康の支援を得た友政は、1,700人の兵を率いて苗木城を攻め落とし、旧領を奪い返します。戦後、河尻家は改易となり、領地はすべて没収されました。苗木は遠山家に返還され、「美濃苗木藩」として再出発を遂げます。

それでも、河尻の名が完全に消えたわけではありません。弟の河尻鎮行が旗本として召し出され、200俵の知行を得て家名を存続させました。

現在、岐阜県坂祝町にある長蔵寺には、父・秀隆、弟・鎮行、そして河尻秀長の墓がひっそりと建っています。

名声を追い求めた人生ではなかったかもしれません。武功で名を挙げたわけでもなく、大きな城や領地を手にしたわけでもありません。それでも、河尻秀長は常に自分のなすべきことを見極め、誠実に、そして静かにその役目を果たし続けました。

目立たぬ場所で、誰かを支える力――それは、時に戦場で槍をふるうよりも、はるかに難しく、価値あることなのかもしれません。豊臣政権の裏側には、彼のような「表には出ない支え手」が確かに存在していたのです。

歴史というのは、決して英雄たちだけがつくるものではありません。大きな旗の陰で、矢面に立つ者を支え、組織を動かし、志をつなげる人々がいてこそ、はじめて時代は動くのです。歴史の裏側で、黙々と役割を果たし続けた人の姿を、私たちはこれからも心にとどめておきたいですね。

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