幕末の志士・坂本龍馬は子供の頃、本当に後藤象二郎と板垣退助にイジメられていたのか? (2/3ページ)

Japaaan

後藤象二郎/画像出典:Wikipedia「後藤象二郎」

しかし、後藤象二郎は後に坂本龍馬の書いた『船中八策』を藩主・山内容堂に採用させたり、身分の低い龍馬に代わり幕府や御三家との交渉に当たったりと、龍馬とは協力関係を結んでいたことが知られています。

板垣退助も、龍馬が暗殺されたときに
「龍馬は細かいことにこだわらないおおらかな人だから、役人には向いていない。
もし龍馬が40歳まで生きていたなら、薩摩の五代(五代友厚、大阪の経済の基盤を作った)や土佐の岩崎(岩崎弥太郎、三菱財閥の初代総裁)のようになっていただろう」
という言葉を残しています。

作品中では、土佐藩の家老に就任し倒幕を目指す後藤が、龍馬を通して薩摩・長州藩と手を結ぶために、子供の頃から敵対していた彼と和解したというストーリーになっていましたが、そもそも龍馬は本当に彼らに子供の頃いじめられていたか、または何らかの面識があったのでしょうか?

龍馬が2人にいじめられたエピソードの真相

当時は土佐以外の藩にも「上士・郷士」という武士同士の間の身分制度は存在しました。
土佐藩では、その差別がより厳密に行われていました。

例えば、足袋や下駄、日傘などの使用は上士のみ可で、郷士には許されていませんでした。

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