遊女や囚人までも救った、意外と知られていない万能すぎる鎌倉時代の僧侶・叡尊の功績 (2/2ページ)

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その後、養母もなくなり、11歳のときに醍醐寺(京都市伏見区)の叡賢に預けられ、17歳で醍醐寺・恵操を師として出家しました。

初めは密教を学んでいたものの、密教行者の中には、邪道に陥る者が多い現状に疑問を抱くようになります。

戒律重視の必要性を感じる

叡尊は、悟りに到達するためには、釈尊が定めた戒律をしっかりと遵守することが大切だと感じ、戒律復興に力を入れることを決意しました。そして、1235年(嘉禎元年)1月に持斎僧(戒律を守る僧)を募集していた西大寺に入りました。

ちなみに、西大寺は彼が祖となる真言律宗(しんごんりっしゅう)の本山です。

大和西大寺の復興にも尽力した叡尊

叡尊が西大寺に入った当時、寺は残念ながら荒廃していました。入寺した翌年、叡尊と同じ志を持つ覚盛(かくじょう)、円晴(えんせい)、有厳(うごん)らとともに、東大寺で自誓授戒(じせいじゅかい:仏・菩薩から直接に受戒して戒律護持を誓うこと)を行いました。

戒律を厳しく守る叡尊のもとには、囚人や遊女、天皇など多くの弟子が集まり、次第に西大寺の再建も進みました。なお、彼は生涯で700ほどのお寺を創建・修復しています。

貧しい人々に手を差し伸べる

叡尊の大きな功績は、貧しい人々に手を差し伸べたということでしょう。彼は、ハンセン病患者や身体障がいを持つ人、生活に困窮した人などの救済を開始。施茶(茶の施し)や日本初の病院「北山十八間戸」の設立などを行いました。

また、庶民の働き口を確保し、陸上や河川、海上の交通路の整備、耕地開発などを進めました。

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