徳島の地名に残る「蜂須賀」とは誰? 刀より知恵で国を治めた戦国武将・蜂須賀家政の生涯【前編】 (2/2ページ)
家政は早々に決断を下します。
山を下りて、新たに徳島城を築き、城下町づくりを始めたのです。これが、いまの徳島市のはじまりになります。
ですが、支配の交代は、そう簡単には受け入れられません。阿波には土着の土豪たちが残り、蜂須賀の支配に反発を見せました。祖谷山一揆――これはその象徴ともいえる事件です。
土地と人に寄り添う統治家政は、力でねじ伏せるだけの武将ではありませんでした。武力とともに懐柔策を重ね、検地を進め、支城を築き、支配体制を一つずつ整えていきます。
交通や治安の整備のため、「駅路寺制度」という独自の仕組みまで設けました。
刀を振るうより、地を耕し、人を繋ぐ。そういう仕事にこそ、彼の本領があったのだと思います。
もう一つの“戦国の生き方”家政は、いわゆる“戦って名を上げた英雄”ではありませんでした。
けれど、乱世に生き、土地に根を下ろし、民と向き合いながら国を築いたその姿は、別の意味でとても雄々しい。
時代の荒波に逆らわず、かといって流されもせず。静かに、自分の場所を守り抜いた男がいた――そのことを、まず心に留めておきたいと思います。
次回の【後編】に続きます。
参考文献
白石一郎「阿波の狸」『弓は袋へ』新潮社 1991 石躍胤央・他『徳島県の歴史』山川出版社 2007日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan