国語を英語に? 過激な思想で幕末〜明治の日本を揺さぶった異端児・森有礼の非業の末路【前編】 (1/2ページ)

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国語を英語に? 過激な思想で幕末〜明治の日本を揺さぶった異端児・森有礼の非業の末路【前編】

「英語で日記を書き、キリスト教に触れ、妻には一夫一婦制を求めた明治の政治家」。

こう聞くと、ちょっと現代的で驚きませんか? 幕末から明治にかけて活躍した森有礼(もり ありのり, 1847–1889)は、まさにそんな異色の人物でした。

彼は外交官、教育者、そして政治家として日本の近代化に大きな足跡を残しました。しかし、その生涯は波乱に満ち、最後は暗殺という劇的な最期を遂げます。

前編では、彼の生い立ちから海外留学、そして日本初の駐米公使としての活動までをたどってみましょう。

森有礼 Museum of Fine Arts, Boston

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薩摩に生まれた秀才

森有礼は、弘化4年(1847年)に薩摩国鹿児島城下春日小路町(現在の鹿児島市)に生まれました。父は薩摩藩士の森有恕。

幼いころから藩校「造士館」で漢学を学び、さらに藩の洋学校「開成所」で英語を修めました。当時、薩摩は西洋の知識を積極的に取り入れる風潮があり、森は早くから外国語や海外の事情に強い関心を示しました。

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