女性排除…それでも消えなかった歌舞伎――戦国の巫女・出雲阿国が起こした「かぶき」の衝撃【後編】 (2/3ページ)
歌舞伎で風紀が乱れる?江戸時代に歌舞伎や相撲が”危険視”されていた理由【前編】
天下を掌握した徳川幕府は秩序を重んじました。庶民の熱狂を危ういものと見なし、1629年、女性による歌舞伎を全面的に禁じてしまいます。阿国が切り開いた舞台は、こうして一度閉ざされたのです。
抑圧から生まれた新しい芸能けれども、文化というものは権力によって押しつぶされそうになっても、そう簡単には消えてしまいません。人々の心に根づいた表現の芽は、姿を変えてでも生き延びていくのです。
女性の舞台が禁じられると、まずは若者や少年たちが代わりに立ちました。彼らは女性を真似て舞い、その姿に人々は新たな魅力を見出しました。しかし、やがてそれさえも幕府に禁じられます。
それでも舞台の火は消えませんでした。最後に立ち上がったのは大人の男性たちです。彼らは女性の仕草や声を徹底的に研究し、優雅さや艶やかさを自らの身体に刻み込んでいきました。
ここから「女形(おんながた)」と呼ばれる役柄が確立されます。女性を演じること自体が一つの芸として昇華され、やがて歌舞伎の中核を担う存在となっていったのです。
今日の歌舞伎を特徴づける「男性が女性を演じる様式」は、このような規制と試行錯誤の積み重ねの中から生まれました。出雲阿国の舞が直接続いたわけではありません。
けれども、彼女が見せた自由で型破りな表現への挑戦は確かに生き残り、形を変えながら後の時代に脈打ち続けたのです。
