朝ドラ「あんぱん」消息は現在も不明…浜辺ヒラメ(浜野謙太)のモデル・海野かつをの生涯 (3/5ページ)
のちに国民的スターとなった渥美清。彼の脱退と入れ替わりで、海野かつをはお笑いトリオ・スリーポケッツに入った。
テレビで開けた人気タレントへの道と怪傑アンパンマンかつをは、コントの世界が斜陽化していると判断しテレビタレントへの道を歩み始めます。特に力を入れたのが、子供番組でした.
1970年代には、子ども番組『おはよう!こどもショー』で「ニャンダ」の声を担当。
昭和49(1974)年には、実写版の映画『ルパン三世 念力珍作戦』脇役の“パトロール警官”として出演を果たしました。
翌昭和50(1975)年には、脇役ながらも、市川崑監督の映画『吾輩は猫である』に「吉田虎蔵・刑事」役で出演し、俳優としての道を固めていきます。
こうした「テレビの声」と「映画の顔」の両輪が、当時の“お茶の間”での親しみを生みました。
華やかな主役ではなくとも、視聴者の記憶に残るタイプの芸人・俳優としての立ち位置は、独自の存在感を放っていたようです。
しかしこのとき、かつをは病に苦しめられていました。昭和49(1974)年頃には、病気療養に入ります。
このとき、かつをは関東ローカルの家電量販店チェーン「新栄電機」のテレビCMに出演。「ファイト!ファイト!新栄!」の掛け声とともに円陣を組むお馴染みの画で、強烈なインパクトを残しました。
新栄電機の社長はかつをを同社に勧誘。