【べらぼう】寛政の改革で時代が彼に追いついた…『即席耳学問』の作者・市場通笑とは? (2/5ページ)

Japaaan

幼いころから家業を手伝い、やがて自身も表具師となります。

通称は小倉屋喜平次(きへいじ)、諱は寧一(やすかず)。また字(※)を子彦(しげん)と言いました。

(※)あざな:中国大陸の古習で、成人男性が名乗った通称。江戸時代の文化人もよく称する。

また俳諧をよくして橘雫(きつだ)と号し、教訓亭(きょうくんてい)や三文生(さんもんしょう/さんもんせい)などの別号も使い分ける教養人だったそうです。

そんな通笑が戯作者となったのは安永8年(1779年)、初めての黄表紙『嘘言彌二郎傾城誠』を出版しました。

市場通笑の主な作品

市場通笑『虚言弥次郎傾城誠』より。

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