【べらぼう】劇中で喜多川歌麿を支援した釜屋喜兵衛(U字工事 福田)とは何者?その生涯をたどる (3/4ページ)

Japaaan

狂歌師・戯作者「通用亭徳成」として活躍

通用亭徳成『敵鰹差身業物』より。

そんな喜兵衛は自身も創作活動に意欲が高く、狂歌師や戯作者としても活躍しました。

通用亭徳成(つうようてい とくなり)と称して唐衣橘洲(浜中文一)に入門。やがて判者を務めるまでに成長します。

後に息子の通環亭真袖(つうかんてい まそで)も狂歌師となり、父子で狂歌界を沸かせました。

米寿(べいじゅ。88歳)を迎えた安政2年(1855年)には栃木の料亭「柳園」で大狂歌会を開催。全国から約900名もの狂歌師が参加し、その中には上野国(群馬県)の柳直成(やなぎ ただなり)や下野国の河野守弘(こうの もりひろ)らも名を連ねます。

そのイベント規模から、喜兵衛の永年築き上げた人望の厚さが分かるでしょう。

翌年には記念狂歌本『都賀(つが)のやままつ』を出版しました。

また戯作者としては天保8年(1837年)に長編の合巻『敵鰹差身之業物(かたきにかつを さしみのわざもの)』を出版。そこには歌川芳虎(よしとら)・歌川芳升(よします)・歌川芳宗(よしむね)らが絵を入れています。

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